夕飯はお惣菜。大日本人のせい。
2007年6月 3日

史の料理話を読んでくれている方、騙されたと思って堪忍してくだされ。
今日、松本さんの監督映画「大日本人」を観て来ました。
でパニックになり夕飯を作るのがスーパー面倒に感じてしまったのでしかたがないからスーパーでお惣菜を買って夕飯をすませてしまいました。
写真は昨日の生春巻きの下ごしらえ終了の。
なんとなく、写真でごまかして・・・
すごかった。
しりこだま抜かれた。
奈良の大仏さま、神様、ほとけさますべてに
「もうしらんからね、しかたないよ、助けようないし」
って安穏と生きていた当たり前の安心安定幸福。善すべていっきに虚構化されたような絶望感と
「やったるぞー日本人として」
ってのと
「一人で頑張って生きろ。」
ってつっぱねられたのと
「これはやばい。」
って恐怖にかられたのと
「まっちゃん ついてきます!どこまでも」
ってのと
「危険人物だ」
と改めて思ったのと。
昨日「絶対すべらない話」
を、明太カマンベールもんじゃを陽気に食べながら勇輝と二人で楽しんで、わくわく今日はまっちゃんに笑わせてもらうつもりで映画館に足を運んだのに足を掬われたのです。完全に。。
始まってそうそういやーな予感はしました。動物としての直観力が働いたというか、なにかを暗示するでっかい作品かも、、
ってちょっと身構えたけど、やすやすとそのブローをぶちやぶってぶちかまされたわけですね。
最初のほうはわくわくと、どんな種類の笑いでわらかしてくれるんだろう、史にその面白さが分かるだろうか?
みたいに期待したのは間違っていた。
興奮しているせいで、いつもにまして頭がくるくるくるぱー
で文章が反復反覆する。
内容は観てその人が個体で感じたり考えたりしなきゃいけないもんだと思うので書かないしかけない。
意味がわかっているのかすらも不安だから説明しようがないのです。
映画は最高芸術で全能なツールであることは、そこの奥深さと楽しさ、限界、、色んな要素を持っているのは、曲がりなりにも一年だけ映画を学び末端の知識だけは持ち知っていたけど、お笑いの天才だなーと尊敬してやまない松本さんが、ああいったメッセージを映画世界の規範、(というかもっと広義での常識や、普遍性)をぶっこわす作品を撮り倒されて顎がはずれた。
実際顎がガクガクして最後の方はこわばりすぎて痛くなって見終わった後噛み合せらんなくなってガムを買って気とあごを紛らわした。
「おもしろい」
の意味が違った。
映像でなんかまったく勝負しようと思っていなかっただろうけど、随所に気になるカットや画があった。
映画館を出てぼけ~ってしながらぽつりポツリと勇輝と鳥肌をタテながら
あそこは~とかあの台詞は~
とかお互いの解釈や認識を示し合わせたけど、全容は、あの映画をみた自分が「どこにもってかれるか」
という最終的な方向性を提示してくれなかったのも憎い。
松本さんに解釈本でも出してもらいたい。でもそれは絶対しないし
「わかりやすーく作りました」
といっていたから、彼にとってはあれでも譲歩してくれているんだと思うから尚更天才は奥が深いな。。。
とうたれました。
最近谷川俊太郎の講談社+αからでてる「散文」
って本を読んでいて、本が大好きだし、書くほうはひどいけど読むに関してはそれなりに漢字も読めるし雑学だけはある。
と自負していたのだけど、読み始めて久しぶりに専門書でもない散文(エッセイ)なのに分からない言葉、漢字、文章そのものがかなりあって、
「知識人で芸術家なのにゆるくて面白くてすごい人だ。」
って改めて自分の浅さを反省していたこの頃、また違う角度から思い知らされた。
この本と「大日本人」の共通性を感じる。
なんか、全然ちがうけど、似たようなことを言ってる。
時間に余裕のある本好きの人は是非是非読んでみてもらいたい。
褌をしめなおさなきゃいけない
し常に頭と心のアンテナをはっとかなきゃ
のされちまう。
本当に気のあう人と観にゆくとまだ大丈夫。
かろうじて生きてる。
絶対に。とは死んでも言わないし、観てもおもしろくないと思う人もいると思うけど、、
史にとっては映画で混沌をここまで・・は初体験なので感想文というか自分自身の頭の整理のために書いちゃいました。
今夜は寝れないか想像をぜっする夢をみるか漠睡か・・・
それもわからない。
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