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むくむか づつうか げりか なく か わらう か。
2009年4月20日
なにを思ったか銀之助、突然エスプレッソマシーンの上。

飛行機とかけつけ2杯のビールに酔いながらも 日本で終わらせられなかった最後の準備をしていた。
だいたい、なんであんなでっかい物体が上空何万メートルも上がって飛び続けることができるのかが いまだに理解というか納得できず、
作業しながら史は聖子ちゃんに
「落ちると思ったら、ベルトは腰骨の上にがっちり固定して、おなかと頭にブランケットや枕をおき、肘で頭を囲うように固めて、足はあぐらをかいて可能なかぎり体をまとめると 死ににくいらしい。(しぬときゃなにをやってもしぬが、、)。 これはマスターキートンがそんなことを言っていたうるおぼえ。」
とか
「外気は酸素の量が足りないんだから、酸素を空調が送ってることになるんだよね?ってことは酸素ボンベが壊れたらアウトだね。。 こんなにたかいところにいるのに 高山(空)病にならないのはなんでだろうね。?」
とか
「こんなあほみたいに早く移動しているのに スカイダイビングみたいに 顔がぶおぶおぶおってならないで普通なお部屋にいるみたいのはなんでだろうね?疲れるにきまってるよ、」
とか
「スチュワーデスさんが花形の職業の時代はおわったかね? 昔はかっこいいと確かに思っていたけどさ、実際オトナになってから改めてみてみるとさ、空飛ぶホールのウェイター より大変だよね、なんでもこきつかわれてきっと足もむくんじゃうよね。きつい仕事だよね。」
とか
「やっぱり飛行機ってものに色々 騙されてるきがするよ、おかしいことが当たり前ですってなりすぎじゃない?」
「あーでも、前パパは出張をよくしていて、ある時浮いちゃうくらい急降下してどどーんばあって酸素のマスクが降りてきたことあったけど、そんなのでも今もぴんぴんチャラチャラしてるから絶対に大丈夫だあね。」
「あーでも、前パパは出張をよくしていて、ある時浮いちゃうくらい急降下してどどーんばあって酸素のマスクが降りてきたことあったけど、そんなのでも今もぴんぴんチャラチャラしてるから絶対に大丈夫だあね。」
とか。
作業をしている間もずっと ちょっとでも生き延びれる秘訣や 逆に不安にさせたり謎をきいたり愚痴をいったり始終話しかけていた。
話が合うので、2人で死なないのポーズの実演を一緒にやってみたり、
聖子ちゃんは史に
「もし私が死にそうになったら 私の立派なじんちゅう(鼻のしたの線のとこ。)を押しながら 聖子!聖子!って呼んでね。生き返るらしいから。」
占い師か誰かに聞いた生き延びる秘訣をお返しに教えてくれたりして、あんまり快適とは言えない、疲労もたまった飛行機の中で周りが寝静まっているのに妙なテンションで起きていた。
糸を切っては貼って。 行く前でも いずれ彩ちゃん達が見慣れぬ沢山の色ごとに入った袋やアクセサリーパーツの種類の多さに翻弄困惑しないよう作戦を練っていた。
こっちはそういったものが得意なバックデザイナーを隊長に毎日使って触って買ってリストを作って、、(大事な事は大体2人でダブルチェックをするようにしていたので尚更。)って慣れていたし、 その種類の多さはたいした事では無いと思っていたけど突然どかっと渡されてあと10日間で私達居なくなりますからね。って ゆわれたら心配で彩ちゃんはパニックになってしまうだろう。当然だ。だから刺繍糸は4ブランドの36色。アクセサリーパーツは小さくてパッと見てすぐ覚えれるものではないし、ツールなども含めたら大量のアイテムをベトナムに持ち込むことになる。
彩ちゃんは作り手ではないからなおさら馴染むのにじかんがかかるだろう、。
少しでも見分けやすいように はっ付けるために白い紙に刺繍糸の名前と品番をマジックで書いたり。早見表を作ったり。
字が汚い史は何枚か書いてみたけど、なんだかきたないから こんなのだったら聖子ちゃんが一人で書いた方が美しく仕上がる。 と思い すぐ紙を二つに切る役目に回った。
それは全く頭をつかわない単純作業なもんで、あることないことベラベラ話していたわけである。使い物にならない人の雛形にしてもらいたい。
如何せん料理しかやってこなかったため、日本チームの途中の開発段階では作業手、と「やんややんや隊長 に就任し、あーだこーだ言いながら夕飯を2家族分作る賄部に所属しやってきたが終盤はテキストの書類作成からマテリアルの単価、使用個数、全体のこまかーいパーツごとのコストアウトやら買出しリストそのたものもの ゼーンブ聖子ちゃんが作ってくれた。
それからしばらくして、ダンダン「はーこれは棚卸の書類みたいなものか。 とか メニュー だ。 とかレシピだな!」 とか レストランで使ったり作ったりしていたものとおなじような ただ、食材じゃないだけだ、。ってことがわかったけど、最初は 分けはわかるし、これがあったら俄然やりやすくなる!!っていうのはわかったけど、自分でで作成できるきもせず投げっぱなしでいた。出発までの間に分かる事もなく 今回の重要書類全て史が手伝うには至れなかった。
如何せん料理しかやってこなかったため、日本チームの途中の開発段階では作業手、と「やんややんや隊長 に就任し、あーだこーだ言いながら夕飯を2家族分作る賄部に所属しやってきたが終盤はテキストの書類作成からマテリアルの単価、使用個数、全体のこまかーいパーツごとのコストアウトやら買出しリストそのたものもの ゼーンブ聖子ちゃんが作ってくれた。
それからしばらくして、ダンダン「はーこれは棚卸の書類みたいなものか。 とか メニュー だ。 とかレシピだな!」 とか レストランで使ったり作ったりしていたものとおなじような ただ、食材じゃないだけだ、。ってことがわかったけど、最初は 分けはわかるし、これがあったら俄然やりやすくなる!!っていうのはわかったけど、自分でで作成できるきもせず投げっぱなしでいた。出発までの間に分かる事もなく 今回の重要書類全て史が手伝うには至れなかった。
{その罪悪感(なんにもやれてない)はベトナムにいって子供と接しながら毎日皆一丸となって頑張っていっているにも関わらず、自分の無力さとタッ買いお金かけてきてんのに役立たずな自分への苛立ちををどんどん募らせていた.. 何日目か覚えていないけど、情けなさが爆発して大鳴きをして2人を困らせることとなる。。
でも申し訳ないコトに自分を嘆いた咆えた?ことは覚えているが細かいことはおぼえていない。}
到着したホーチミンの国際空港は夜の11時過ぎくらいだったにもかかわらず何をしているのか到着の人待ちか 大勢の人々がワラワラ入り口付近に集まっていた。
空港を出た瞬間うだるような暑さに吐き気がし、体中急に浮腫んでパツパツになって目眩とえも言われぬ倦怠感を感じて、、、
ふっと聖子ちゃんをみたら まったっく同じ事を感じているえも言われぬ表情を返してきた。
気温34度くらい。 肌寒い日本から突然の高温湿度に体は全く順応できなかった。
フエに行く便はもうない時間帯だったので 旅行会社が手配してくれたお迎えのハイヤーにフウダラと乗り込む。
いつものくせでタクシーの中で 携帯をいじっていたら 電波の部分が電波を表示していることに気付いた。
ありゃ。なんか 。電波?ばりさん?(古い) まさかね〜 って まさかもまさかに 確認のため。と思って、勇輝に
「着きました。なんか電波が入っているもんで まさかね〜届く分けないよね?」
あは?って感じにSMSを送ってみたら
おったまげた。
直ぐに、
「すげ〜。届いた〜!!!」
って勇輝が返信してきた。
なんとも。
予め国際使用に設定したわけでも 申し込んだ訳でもなかったのに使えちゃったのです。
さすがiPhoneさん。 ちっさい神様みたいなやつだ。
エモイワレヌ倦怠感でどんよりしていた我々のテンションがぐいんと上がった。
海外で、寂しかったり とっても遠く感じられる要因は、
「思った時にサクット連絡を取れる手段が無い。」
からだ。ということが判明した。日本と同じように携帯で連絡が取れる事がこんなに安心感を与えてくれるとは!
調子づいて、ホテルの部屋でエアコンをガンガンにつけシャワーを浴びて体力が回復しテンションの上がった史は寝る前にずっと 同じiPhoneユーザーの聖子の旦那様としくんにもSMSを送ったり又、勇輝に送ったり受けたり送ったり 勇輝は電話を掛けてきたりした。
いくらかかるのか、は誰も知らなかったから 乱用はひかえつつも、ベトナム滞在中は互いの都合があえばSkypeやメールをするとは思っていたけれど、何かあったらすぐに連絡を取り合う事を約束できて、ほんとにほっとした。
知っている人に取っては当たり前の話なんだろうけれど、とても幸先の良い話で今回のベトナム滞在が上手く行く。と なんとなく信じたくなるくらい嬉しかった。
(一日数回のSMSと 3、4回の国際電話で 今回の請求はいつもより1万円弱高かったがプライスレス。)
気が小さくて寝付きの悪い史は 初日 殆ど寝れなかった。 そんなのは想定内だったから別に気にしない。ただ、体力がないしダウンして皆に迷惑をかけないかだけが少し不安だった。ベトナムにいるあいだ10日間ずっと聖子ちゃんと2人同じベットで寝たけど、初日の
「自分で巻いていかなきゃいけない巻き寿司さん。」
の寝姿がいっちばんおもしろかった。
両手を頭の上に ピンッとのばして、ダブルのベットの端から「真ん中あたりまで」すのこで巻かれるようにすごい勢いでグルッツぐるっと回る。早い。 大変忙しそうで辛そうなかおをして。 ですぐ ぐるっぐるってもどる。(ちゃんと海苔が巻き付かなかったみたいだ。)寝ているのに苦悶の表情が見て取れておかしかった。
史はあんまりにも寝れないもんで椅子に座って本を読んでいたから隣で寝ている分けではないので、端から端までいってもよさそうだし、勢いでベットから落っこちないのが 寝てるのに律儀で一生懸命で聖子ちゃんらしくてとても 良い。 とみていた。
次の朝その話をしたら
「そんなこと、するわけがない!」
って否定してたけど。 みてたから、嘘じゃない。 第一寝相の作り話に巻き寿司になってたみたいよ?なんて想像力は持ち合わせていない。
さてさて、一向に話が進まない。
フエに向かう飛行機は2時発くらいだったけれど、この温度差で体の疲れもまだとれていない中でホーチミンを観光するのはとても危険だ。と意見が一致し、朝食を長い時間をかけて食べ、体力温存。 ちょっと紙ナプキンを取ろうと手を伸ばしても汗が ぶぅ っとでる。
つらい。体温調整に汗をかくと体が楽になるはずなのにイッコウらくになれずむくんで気怠いままなので、あらためてベトナムむしあついぜおそるべし。 と思った。
フエの飛行場に彩ちゃんが迎えにきてくれていて いままでメールやSkypeでのやり取りだけで何ヶ月コミュニケーションを取っていたので 尚更やっと肉体で会えた喜びひとしお。はっぐりとハグを交わした。
ただ移動しただけの一日だったのにごっつり疲れて
「これは、移動とか気候とかなんとかではなく、もしかしたら年?・・・」
アラサー(around 30 の略まさに自分たち。)の恐怖。いままで知らなかった踏ん張りの利かない疲労にへこむ。
これからはもっともっと年上を大切にしてゆこう。と心に誓う。
その夜はウェルカムディナーで漠と彩ちゃんは海鮮レストランに連れて行ってくれてねぎらってくれた。 久しぶりの本場ベトナム料理に舌鼓をうち、美味しんぼの史はだいぶ元気になった。
翌日から待望念願の実践教育。軽く寝るまで打ち合わせをして就寝。
なじめ体!って叩きたくなるくらいむくみは取れず頭痛がして不快な体調だったけど、しのごのいってられないので、 病は気から!!と念じつつ元気にいざ初出勤。
当初彩ちゃんは
「自転車で片道20〜30分の所に通うから、体力つけてきてくださいね〜」
など、メールで書いてきてくれたけど、出発前に体調を崩していたのと、脚力ゼロ、椎間板ヘルニア持ちの史はとっても自信が無かった。なんでもレンタカーはもってのほか、レンタバイクもないらしい。。
聖子ちゃんも奇しくも同じやっかいなヘルニアを持っていたから、素直に不安である心情をうちあけたところ
「私だって、正直きついと思うし、ゆって自分たちは体力作りにいくわけでもなんでもない。 それでダウンしたら本末転倒だし、彩ちゃんには申し訳ないけど最悪タクシーでも良い。 金銭的にきびしいのならタクシー代は日本チームの自腹でもいいから自転車はやめておこう。」
と。英断だと思った。史ひとりだったら無理して腰いわすか、疲れ玉こさえて寝込むかどちらかだったとおもうけど、その発言で彩ちゃんにはより面倒な手間と苦労をかけたけど、ボランティアの子達に連絡しアレンジしてくれて、大体の日はバイクの後ろに乗っけてもらい登校することができた。
彩ちゃんのピンキーは馬力がなくて慢性パンク状態で馬車馬の成れの果みたいに弱っていて去年史が来た時からの彩ちゃんの毎日の忙しく奔走していただろうその行動を彷彿とさせた。去年は史を後ろに乗せて快調に学校まで行っていたのに、 もう一人で乗っても馬力が全然ないんだ。だからボランティアのバイクは出来れば2台手配して、1台の日はHHPで購入したレッドローズに聖子か史が乗り それが無理なときはレッドローズで2ケツして彩ちゃんが運転、史がケツに乗り聖子ちゃんがピンキーを漕いだ。
ボランティアで頼んでいる手前あまり無理させて離れていってしまうのも困るから怒ったりはできなかったけど、かといってドタキャンをしたり、時間を守らなかったり、ベトナム人がっていうのは多分失礼だとは思うが そういうことが日常茶飯事だった。
彩ちゃんは携帯で始終アレンジにおわれていて
「ボランティアの子達を使うのはとても不確定だし、替わりのイベントなどをしてお礼?楽しさを味合わせてあげないとやめちゃったりするし、気苦労が耐えない。」
と言っていた。
銀之助半年。このしゃしんをみてあらためて今のデブ?キンノにハグをしたいとおしくて

身も蓋もないが、お金で解決できることは多い。と。
短い間端で一緒に見たり、やったりしていたけど、本当にその台詞は・・しみた。
ボランティアなのに、だから、ベトナム支社長 彩は銭ゲバのようにならざるを得ない日々を送っていた。
「なんとか、お金を作って、社長に渡したい。」
と我々も強く願うようになり 電卓を皆ではじく毎日になった。
彩ちゃんが運営しているフーヒップの学校(といっても一つの部屋だけで長机が6個くらいと椅子が20個くらいあるだけの小さな部屋。)に電力を引く工事をしたり電球を買う、学校が使う水道使用料金も隣に住むあこぎな目つきの悪いおばさんに徴収される。子供にまともな授業を受けさせるために「コーハー」というおばさんを先生として雇う。 子供達の朝ご飯、ノベルティーグッズのパッケージやリーフレット、子供達の写真のポストカード、もちろんアイテムの材料費。その他ものもの。
教育のポスターを買って貼るのも、暗くなったら近所の子にその子の家で使っているライトを貸してもらうのも、。いままでincomeはdonationだけで全てを賄わなければならなかった。
子供に勉強をさせたいがためにもお金が必要であった。
「クラスに出たら、ビーズを作らせます。綺麗に作ってきたら買い取りでお金を支払います。」
というルールがないと、子供達は親に言われて、もしくは自分から市場にゴミを拾いにレストランの外で物乞いをしにいってしまう。。

親に利用され、守られず、教育をされてこない子供達のお金に対する執着心は餓鬼のようで、初めてクラスにいった日の最後のほうに子供達が突然
「ティンティエン!ティンティエン!!」と皆が執拗に騒ぎ始め収集が着かない状態になってしまった。
それまではザワツキながらもなんとかレクチャーできたなぁ、って思っていたのに 声をはっても、説明してもこちらの言葉を理解しようという気もなく 手を差し出して近寄ってきて訴えかけてくるその圧力は その日得た全ての楽しさと成果と達成感を踏みにじるほど圧力的で なんとも寂しい気持ちに落ちた。
ティンティエンはお会計。の こと。

これが現実。
彩ちゃんの毎日。
彩ちゃんは英語で「そんなふうにしちゃだめ。ならんで!じゅんばん!ずるするなら 出て行きなさい!」
などと真剣に彼らに取合う。けど、そんなのにまともにくらう子供なんて一人もいない。毎日のように大人に怒鳴られ叩かれ、怒られることなんてなんでもない。慣れっこなんだ。
どうせなにをいっているかわからないし、何をしたんだって勉強をするんだって 結局のところお金がほしいだけなんだ。 5円でも10円でも。
かぎ針を持たせて、練習用に用意してきた白い刺繍糸で皆にリングを編ませたら、日本で想像してきた以上の手応えがあり、そのうちの 1人 「beちゃん」はダントツで驚愕するほどのものを作ってきて
「これだったら、なんとか日程以内に、自分たちが考えてきたプロダクトを完璧に作らせることが出来るかも。」
と安堵した初日の最後にくらった出来事だった。


去年旅行で来た時も彩ちゃんとずっと一緒にいたので、この村も、子供達も知っていたけれど、今回は気持ちのいれようが全く違う立場でやってきたのでショックだったのだとおもう。
一個作るといくらもらえる。っとわかったとたんに熱心に作業をするようになり、乱雑に作ったり、ほかの子の作ったものを取る子がいたり、早く終わらせようとルールを無視して狡する子がいたり。。。
何ヶ月も沢山の気持ちと時間を費やして彼等のためだけにやってきたのに、そりゃないぜ。。って少し思ってしまった。
でも、考えればひどい環境のなかで生まれ育てられた子供達がそうなってしまっているのには子供達には罪は無い。
既にある事の過去や現状を悔やんだり嘆いたりしてもなににもならない。未来に少しでも幸せになれるように、楽しい時間が過ごせるように、ちょっとの夢が持てるように、良い物を丁寧に心を込めて作る事 そのものに価値があり、その姿勢でやっていけば絶対価値の高い良質なモノツクリが出来るようになるんだと信じさせる事、HHPはその為だけに存在して彩ちゃんは子供達のためだけに 毎日毎日動き考えているんだ。
ってことを、このプロジェクトの授業をするわずか1週間で、 なんとかその中で 真剣さや 自分自身の誇りと僅かな希望をみせてあげたかった。
ブレイク。べべさんとぎんの。好きだけど手に入らないキンノもどかしべべあやうし。

日本に帰ってきてから勇輝が史に「俺はあんまり興味がわかない。日本のこれからのほうがよっぽど心配だ。」っていっていたけど 当然だと思う。最初ちょっとびっくりしてしまったけどそういえば自分だって同じだった。
きっかけはモノを作りの誘いで、たまたまそのフィールドがフーヒップであっただけの始まりだったから。
彩ちゃんがHHPをやらなかったら、史は誰かが困っている事は知っていてもなにも出来ないままでいたかもしれない。実際日本にも助けを必要としている人々は沢山いるし、里親だって、難病で苦しむ子供への支援だって、募金だってなんでもできたのにしてこなかったから。
何かでもできるかもしれない。 って自分自身のやる気と実感、とチャンスがないとボランティアって行為は簡単にはし始められない。
今回はたまたまの連続で彩ちゃんがBAKUの奥さんでベトナムのフエに行って、時間があって、優しくて、がんばり屋さんで、聖子ちゃんと出会って仲良くなって、物を作り出す事が好きな2人に時間があって、、、てコロコロと次々に繋がっていく偶然の連続で始まったプロジェクトだった。
その流れだから胸を張って「わたくしはボランティアをやっております。!」
なんて言えないし、いいたくない。たまたまだから。そこまでの立派な精神はまだ自分には無い気がする。
でも、学校に行って、僅か10日間の触れ合いだけで、心がぐうんと動かされたのも事実。
それを恥じる気もない。じょじょに気持ちが出てきて、このプロジェクト期間たっくさんの心を使った。
前記したが ベトナムで過ごした何日目か、あほうみたいになきじゃくってしまった。。
オトナになる前の、自分の武器と生きる方法をまだ持っていなかったころの理想と現実の差異を認めたくない 気ばっかりが強くてちいちゃい史がでてきた。
なにかしたい、しなければならない、なのに何にもできない。 って悲しさと悔しさに喰われちまった。
ベトナムにきた意味、自分が出来ない事への至らなさが、彼等の苦しさ、見せてあげたい夢。。 伝えたいことと 現実の狭間にたゆたう不条理とごちゃまぜになってしまってその気持ちをなんともできなかった。
はた迷惑この上なかっただろうけど、今思うと どこか懐かしいような心の骨の部分が堪え切れずに流した涙だった。
なにかしたい、しなければならない、なのに何にもできない。 って悲しさと悔しさに喰われちまった。
ベトナムにきた意味、自分が出来ない事への至らなさが、彼等の苦しさ、見せてあげたい夢。。 伝えたいことと 現実の狭間にたゆたう不条理とごちゃまぜになってしまってその気持ちをなんともできなかった。
はた迷惑この上なかっただろうけど、今思うと どこか懐かしいような心の骨の部分が堪え切れずに流した涙だった。
その泣いた日ベランダで 明日の会議も終盤で寝ようと思っていたところだったと思う。
ちょうど優しい黄色オレンジの大きめの月が出てて、突然、トラちゃんとひさしぶりに心が通ってしまった。

(幼いころから20まで一緒に育ち溺愛していた猫で、死んじゃった事が悲しすぎて史も生きるのを止めたいくらい愛した猫だった。トラちゃんと結婚するってずっと言っていた。
皆はオーバーだと言ったけど、猫だしっていったけど、本当に置いていかれちゃって心がぶっこわれた。
あんまりにも寂しいからトラちゃんはお月様になったんだとその時決めた。
見守ってもらえるし、見上げたらほぼ毎日会える、あとなんといっても雰囲気というか静な優しさと色の感じがそっくりだったから。)
その日ベトナムの空に浮かんだ半端な形の月がそのおつきさんが しっかり アノ時想っていたトラちゃんに見えた その瞳そのものにもみえて。20歳くらいの不安定で何かを嘆いているばかりの自分が出てきた。
その、、なんでもない自分に腹が立ちます。と。心通じ合えたことは暫らくはなかったのに、
10年もたって、落ち着いたし、変わったって思っていたけど、どうやら強い部分が増えてしっかり身に纏えているけど、死んだ猫に助けてもらってギリギリの 弱いちっさい自分は心にまだ住んでいたと分かった。
30歳にもなっても やっぱりまだなーんもない自分が無力でやりきれない気持ちがそうみせたのか、 そんな史を見ていて久しぶりに姿をあらわしてくれたのか、どっちにしろ悲しかったし有難かった。
そういう気持ちのぶれぶれで暫くいたので、自分の書きたい事がとまらない。
普段だって「文章が長過ぎる。」って不評なブログなのに今回はさらに簡潔にまとめあげれる気がしない。。
今回は心情を書くだけでここまできてしまったので、次こそ、ベトナムでのプロジェクトの話を書いていきたい。せめて3部作でとめたい。
心が揺れるもんだからトラちゃんの話までそれてしまった。
(トラちゃん べべさん 銀之助 足袋ちゃん。 今のところ。 史はお婆さんになることができたら、暇だったら猫さん達の本を書こう。 と今決めた。 沢山あるみたい。 書きたい事が。)
ぐだくたになって2弾。
次はきっちりあげる。!
長いし、読みづらいと思いますが、すこし興味を持ってくれたらもう少し暇をみつけて
どうぞ続きをよんでくださいと思っています。
あることあること書かないと。 そこにあったことは事実でここからの糧となる。と信じてるんで。
投稿者 fumi : 23:58
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