サーフィン。 とストレス性ハゲ。
2008年5月 4日
生まれて始めてサーフィンをしてきた。
体験コースで1人5000まんえん。
ほんとの本当に始めてするもの。。ってもう30歳近くになるとそうそうめぐり合わないから、ドキドキとワクワクと不安と緊張の合い混じった感覚が久しぶりでクウーン としながら、電車で片瀬江ノ島へ。
ずっと憧れてやりたい やりたい って思っていたのに、なぜかなんだか結局今日までヒタ延ばしにしてしまったいたのですね。 そう。 逗子に2年間も住んでいたのに・・
なぜかっていったらそれは 「おばかさんだから。」でしょうね。
あの頃は ハッ
愛車サンバーも元気に走っていたのにね。駐車場もタダで、海なんてあるって10分で着いたのにネ。
まあ、金銭的事情とオシリの重かった過去を振り返り悔やんでも仕方が無い。 あの時やり始めなかったからこそ! 今日の初体験があるのだ。 (アホウは常に前向きに結論付ける特技をもつ。)
きっかけは勇輝がある日なんとなしに買ってきた「一万円でめいっぱい遊べる本08'」
その中には色々手頃な遊びが、写真と記事と何人で交通費~なんちゃらかんちゃらで「1万円」
と食からレジャーから津々浦々の情報が掲載されていて 2人は サーフィン体験コースを発見したのであります。
じょじょに行こう。 と、いう生き方を最近になって学び始めたのでこの企画は大いにありだと。
(格好からはいったら2人で20万くらいになってしまうから現実的でないし、車があれば、、、買うのも大変、車検に駐車場ものもの あとガソリンね。、今話題の。 せちがらい世の中、何かを欲すると沢山のお金が必要になってくるのです。)
だから半日体験で5000円は考えようによっては高くないかもしれない と思うようになりました。
GWで混雑で予約取れないかもなーって思いながら前日電話をかけて見たら ラッキーなことに午後なら と空いていたのでガーっテンションをあげていえーい。
キャツは高校から18歳くらいまで結構本気でやっていたくせに 予約の電話口で
「男一人と女一人ですー。はい、二人とも初めてです~」
???
ちょっとまった。
いままでサンザンサーフィンの話を史に聞かせてきたではないか。?あれはブラフか?
どうせ、あっちにいって初心者に混じって講習を受けてダントツで上手い!
みたいにヒーローぶりたいのだろう。
「やってたくせに。ズルだね、そりゃ」
っていったら
「10年のブランクがありますからねー」
ってしらんぷり。
おっかしいぜ。でもまあいっか。 「経験者であります。」 って言っておいてズッコケで恥ずかしい思いをするのはイヤだろうし、別々にコースを受けなきゃいけなくなったらあまり面白くないし。勇輝はたぶん気を使ってくれているんだろう。
そしたら 意地悪な勇輝は行きの電車の中で 史に脅しをかけはじめた。
それまでサーフィンの魅力的な話をしてくれていたのに、突然
「気疲れする。 波が高すぎると一回も沖に出れず、波に巻かれて息も出来ず死ぬと思う。」
とか悲惨で惨いサーフィン談をトツトツと。、
しまいにゃ、
「なにが怖いって地元の人の怖い人。 ヘタクソだから上手くコントロール、操作出来ず敢え無くヤム終えず人の邪魔をしてしまった日にゃ~・・・」
何?
「・・・ 「おい、どっから来た!」 って言われて 「はい、埼玉です」 って答えたら
「埼玉~?海ねぇなー! 川でやっとけ!!」 って罵倒をあびせられて、凹んで河口の波で練習などしたりした。。。」
ものもの、。、。
いっきに楽しみが恐怖と不安に踏み潰されていった。
ひどい。こんな時そんな話をするのは。
ただでさえ、寒さにめっぽう弱く、海に入っている時にお腹が痛くなったりしないか不安でイッパイな史にそれ以上の恐怖心を植え込むとはDVおっとだ。
一応礼儀とかルールとかの厳しさを予め教えてくれたんだろうけどちょっと過激すぎた。
史の胃袋は猛烈にキリキリしくしく痛み始め、乗り換え駅の藤沢についた頃には吐きそうに緊張して爆裂な痛みでフラフラしてしまった。
態度はでかいが、気がちいちゃいの裏返しで小心者でプレッシャーにとても弱い胃腸も弱い、、ダブルパンチでやられて(かえったほうがいいか? でも念願のサーフィンだよ? おまえはチキンか?でも大丈夫?・・・)
と自問自答をし続け、最終的には勇輝に 「胃が は~ とても ぎりぎりしくしく 痛みます。。。」
と白状。
(本当は、勇輝がPASUMOの精算をしている時に ばれないようにKIYOSUKUにいって 胃薬を探したんだけど無くてばれちゃったから しょうがなく。。)
電車も時間があるだろうから 「なかったから 大丈夫、いいよ。たぶん平気、 、 」
と自信なさげに強がる史を信用してろくな眼にあったことのない勇輝は
「チョといくと薬局があるからそこで胃薬を。」っと。 史は遠慮していいーよというが・・・聞かぬ。
史の周りは史の言うことを聞いてくれない人が多い。しかして大半は正しい。。
そこの薬局に着き
「がスター10を!」 と勇輝。
いんや、あれは高いから。といったけど
「いいものを効く物をのんだ方が良い!」 と断言。
こういう場面で 逆らうとあとでイッソ立場が悪くなるので 従順な妻は生まれたての子羊のように
「ガスター10ください。」
といった。
メンタルがめっぽう弱いことを自覚しているので「神経性の騙され胃痛でしょ、」と自分の虚心を諫め
飲んだら1分後 「も~~っだおいじょうぶい」と虚勢を張った。
片瀬江ノ島駅に着いてから、うす曇のお天気の太陽に「頑張れ頑張れ」と声をかけ、テンションが揚がってきてウキウキな勇輝の後をとぼとぼと「綺麗で、優しくて、笑顔が素敵なおねいさんがいいな~」
ってぼそぼそ話したら
「女の人ってのはまず無いよ。」
「 じゃ優しいお兄さんがいいな~」
・・・
お店に着いたらお兄さんは優しそうだし、一緒にスクールを受ける子達も若いかわいい女の子だし、だいぶ落ち着いて腹がすわってきた。
ウエットスーツに着替え、台車でロングボートを引くお兄さんについて皆でぞろぞろ海まで歩く。
(勇輝はガリガリだからマッチ棒みたいだし ハゲだからガンツみたいだった。)
波はほとーんどない科鏡のような海に着きちょこっと砂の上で立つ練習をしてすぐ海へ。
ウエットスーツはすごいのね。全然寒くないの。だからお腹が冷える心配なし!
お兄さんにボードを押してもらってガバガバ パドリング 波に乗ったら・・・
簡単じゃん!一発目からぴしっとたてた。(ぴしっとし過ぎて体操の10.0みたいな格好になっていたらしく、後ろで見ている人からわらわれていたらしい。。)
10回くらい乗ってホボ全部たったね。 海にただ浮いてるのも面白いし風は気持ち良いし、心がすーっとなって大層楽しかった。
・終わったらとってもおなかが空いたので「サンアロハ」
・いかすみカレー 美味しそうだから頼んだけど、出てきたら思い出した。
あ~ね~マックロね。 で周りをみたら頼んでる女の人はいなかった。 つい忘れちまう。
唇が黒い のが何故いけない!大いに食べて美味しかった。 次の日ウンコはまっくろだった。
(元サーファー PCの仕事の勇輝は、普段マウスより重いものを持たない超運動不足がたたって、 最後の方はパドル力が出ず、おまけに左足がつりそうだ。。 と史にこそっと打ち明けた。)
あんなに脅迫されて 無駄な胃痛と精神的苦痛を感じたからこその開放感や幸福感なのだろうか??なんとも気持ち良い遊びだこと。
すっかり調子に乗り、また来たいとざぶんと波の間をしゅーって行くやつがやりたい 波の壁でくるっと回ったりジャンプしたりしたい。!!!
そんなことを熱に浮かされてしゃべったけど、勇輝はアホを見る眼で史をみ、取り合ってくれなかった。(どんなに大変なことか分かってないし、いつまで続くやら。。って思ってる感じで。)
でも2人とも凄く楽しかったからまた来月にもう1度やろうねと約束。もうちょっと体力つけてリベンジ。
・わるいカオ
「海でゲリはたいへんだよ。史のウエットスーツはうんこまみれ~ 」
って史に散々言っていた勇輝は夏と勘違いして薄着で行ったから 帰り寒くて
お腹がビチクソになった。
「風邪しかないでよ~ 絶対しいちゃうんだからね、史は。」
と言っていた勇輝はその晩から左鼻水が止まらず、勇輝の実家に行く次の日には、 正真正銘の「かぜっひき」 のできあがり。 翌々日には熱まで出していた。
GWはこれ!といったビックなイベントはなかったでれども、皆と遊んだり、サーフィンしたり、勇輝の実家に行っておおいにノンダクレ 「おかあさん」といったら怒る変わったお友達に(勇輝のママ)
「飲み比べする?」
と冗談で挑発したりしてたら、普段はあんまり飲まないひとみちゃんはおおいに飲み倒し、げろ吐き娘となり 途中で寝てしまったオトウさんは最後に起きてきて
メン玉を広げて「史ちゃん、こんなおかーさん見たのはじめてだよ。。」
と驚き戸惑いつつも優しく介抱してあげていて微笑ましかった。
史もずいぶんとよっぱらっていたのでひとみさんを支える事もできず二人でぶっ倒れて大変だった。
次の日壁にこすったかすり傷とアザを発見。ひとみさんは「17の時にスゴイ酔っ払ったっぷり」 の二日酔いに苦しんでゾンビになっていた。
旦那様の実家に久しぶりに顔を出してこんなんで良いのだろうか。。と反省したけど、楽しかった。
そんなわけで2008年のGWは楽しく終わった。
で、オウチに帰って、この所ミンナと遊んだり夜出かけたり昼まで寝てたり、お留守番させたりしていた銀之助をなでなでして
「つまんなかったね~ごめんね、明日っからは普通だからね。 あーでも史は明日からお仕事始まるから1日中遊んでるわけには もういかないけどね。1歳になったから大丈夫だよね。」
っと話していたら
が~~~~ん。
ギンノの左耳後ろに 「ハゲ」
発見。
最近とうとう5.2kgになってしまった家猫のギンノをダイエットさせるため、わざと嫌いな「ライト」の御飯をあげていて、それが嫌いで トイレの砂をホリホリするしぐさを餌の前でやったりして ただ笑って見てたんだけど、それと、かまってあげなかったイライラが重なったのか、、、図太くて犬みたいな猫と思っていたけど、内面は史と同じく繊細でガラスのような心の持ち主だったらしい、、。
はぁ~
いままで3匹の猫達とずっーっと一緒に生きてきたけど、はげられたのは 初めてです。
反省して、翌日からはドライフードに缶詰を混ぜてあげ、仕事から帰ってきたら小1時間掛かりっきりで遊び、リードを付けてベランダでお散歩。その後バタバタと家事をする生活に。
急に忙しくなった。
仕事は楽しいし、元気だし、これから夏だし、調子が良いのはいいことだ。
仕事、長続きさせます。
勇輝のママひとみさんに
「1年続くゴトに10万円ちょうだい」
っていったら
「倍返しでお誕生日プレゼントくれるなら良いよ。」
って言われた。
そんなん、なーんも得もないのでその話は無かったことにした。
ギンノの毛が、早くはえそろいますように。。。
はたらく店はいずこに?貝に気が散った。
2007年6月 6日


史と勇輝の努力の結晶拾った貝たち


作品
今日昨日いい天気でした。 体の調子が回復して、今度はなんにもない 行くところは海。。のみっていう毎日に 暇つぶしベタな史の頭がドンドン弱っていき心の安定もあやふやになってきたので、そろそろ新しく働きだすためにハハの知り合いの紹介で素敵なレストランにお話をしに鎌倉まで行って来ました。
昨日は朋愛ちゃんとベイビーと大遊びしてきて。予定があるってのは幸せなことです。
駅を降りたら町は観光客、修学旅行生、なにをするひとぞ、、「平日だから」とたかをくくっていたのにすごい人ごみと喧騒に圧倒されました。
ランチ後の3:00過ぎに約束をしていたのですが
「初めての場所、一人で行く場所」にはとても警戒してかからないといけない大の方向音痴なので電話で確認、Googlemapでチェック、お店の電話番号を携帯にトウロク、、万全の状態で いざ鎌倉へ!
オウチから迷わないで着けるのなら電車いれて15分とかからないお店で、曲がるのも2回のみ。自分のなかで「三回までは大丈夫」っていう信念。
さすがにあんまりにも簡単なので自分に「史ちゃん、ここに行くのに迷ったりしたらしけい。」
と脅しかけて緊張しながら行ったらちゃんと着いちゃって、ホット胸をなでおろしました。寧ろ時間があまってしまったので、手持ち無沙汰でふらふらと でもそこからあんまり離れないように時間つぶし。
自然と透明感と心地よさがとても良く調和されたお店で、オーナーの女性ととても有意義なお話ができました。 そこで働くことはシフトや方針やらなんやらの関係で、彼女も史自身も適切ではないと、取り敢えずはなさそうな結果でしたがこれから食べに行ったり遊びに行ったりしてお近づきになっていきたい、とっても良いお店良い方々でした。 オーナーのご主人ともお話できました。彼が貝好き、工作創作好きなのが判明。 ここでおもわぬ「貝、および制作の師匠」を見つけられて大満足。初対面なのにも関わらず貝やらの話で盛り上がって色々見せて頂いて、最近というかとーんと創作の意欲が湧かぬまま沢山の貝をほっぽりだしていたのが「作ろう」と奮起させられました。
あーどっか働ける良い店ないかなー。
やっぱり土日がネックだけど、なるべく土日はお休みしたいんだけどそれはやっぱり飲食界ではむつかしいんかな~
焦らず弛まず怠らず。職探しサスライ半端料理人の道は険しく厳しい。
夕飯はお惣菜。大日本人のせい。
2007年6月 3日

史の料理話を読んでくれている方、騙されたと思って堪忍してくだされ。
今日、松本さんの監督映画「大日本人」を観て来ました。
でパニックになり夕飯を作るのがスーパー面倒に感じてしまったのでしかたがないからスーパーでお惣菜を買って夕飯をすませてしまいました。
写真は昨日の生春巻きの下ごしらえ終了の。
なんとなく、写真でごまかして・・・
すごかった。
しりこだま抜かれた。
奈良の大仏さま、神様、ほとけさますべてに
「もうしらんからね、しかたないよ、助けようないし」
って安穏と生きていた当たり前の安心安定幸福。善すべていっきに虚構化されたような絶望感と
「やったるぞー日本人として」
ってのと
「一人で頑張って生きろ。」
ってつっぱねられたのと
「これはやばい。」
って恐怖にかられたのと
「まっちゃん ついてきます!どこまでも」
ってのと
「危険人物だ」
と改めて思ったのと。
昨日「絶対すべらない話」
を、明太カマンベールもんじゃを陽気に食べながら勇輝と二人で楽しんで、わくわく今日はまっちゃんに笑わせてもらうつもりで映画館に足を運んだのに足を掬われたのです。完全に。。
始まってそうそういやーな予感はしました。動物としての直観力が働いたというか、なにかを暗示するでっかい作品かも、、
ってちょっと身構えたけど、やすやすとそのブローをぶちやぶってぶちかまされたわけですね。
最初のほうはわくわくと、どんな種類の笑いでわらかしてくれるんだろう、史にその面白さが分かるだろうか?
みたいに期待したのは間違っていた。
興奮しているせいで、いつもにまして頭がくるくるくるぱー
で文章が反復反覆する。
内容は観てその人が個体で感じたり考えたりしなきゃいけないもんだと思うので書かないしかけない。
意味がわかっているのかすらも不安だから説明しようがないのです。
映画は最高芸術で全能なツールであることは、そこの奥深さと楽しさ、限界、、色んな要素を持っているのは、曲がりなりにも一年だけ映画を学び末端の知識だけは持ち知っていたけど、お笑いの天才だなーと尊敬してやまない松本さんが、ああいったメッセージを映画世界の規範、(というかもっと広義での常識や、普遍性)をぶっこわす作品を撮り倒されて顎がはずれた。
実際顎がガクガクして最後の方はこわばりすぎて痛くなって見終わった後噛み合せらんなくなってガムを買って気とあごを紛らわした。
「おもしろい」
の意味が違った。
映像でなんかまったく勝負しようと思っていなかっただろうけど、随所に気になるカットや画があった。
映画館を出てぼけ~ってしながらぽつりポツリと勇輝と鳥肌をタテながら
あそこは~とかあの台詞は~
とかお互いの解釈や認識を示し合わせたけど、全容は、あの映画をみた自分が「どこにもってかれるか」
という最終的な方向性を提示してくれなかったのも憎い。
松本さんに解釈本でも出してもらいたい。でもそれは絶対しないし
「わかりやすーく作りました」
といっていたから、彼にとってはあれでも譲歩してくれているんだと思うから尚更天才は奥が深いな。。。
とうたれました。
最近谷川俊太郎の講談社+αからでてる「散文」
って本を読んでいて、本が大好きだし、書くほうはひどいけど読むに関してはそれなりに漢字も読めるし雑学だけはある。
と自負していたのだけど、読み始めて久しぶりに専門書でもない散文(エッセイ)なのに分からない言葉、漢字、文章そのものがかなりあって、
「知識人で芸術家なのにゆるくて面白くてすごい人だ。」
って改めて自分の浅さを反省していたこの頃、また違う角度から思い知らされた。
この本と「大日本人」の共通性を感じる。
なんか、全然ちがうけど、似たようなことを言ってる。
時間に余裕のある本好きの人は是非是非読んでみてもらいたい。
褌をしめなおさなきゃいけない
し常に頭と心のアンテナをはっとかなきゃ
のされちまう。
本当に気のあう人と観にゆくとまだ大丈夫。
かろうじて生きてる。
絶対に。とは死んでも言わないし、観てもおもしろくないと思う人もいると思うけど、、
史にとっては映画で混沌をここまで・・は初体験なので感想文というか自分自身の頭の整理のために書いちゃいました。
今夜は寝れないか想像をぜっする夢をみるか漠睡か・・・
それもわからない。
料理じゃなくてしっけ。
2007年6月 1日

ちゃーはんと酢豚。
ブログさぼってぼけぼけです。夕飯の写真がたまっていきます。
でもなんか気がのらないので、ミクシイにアゲタ湿気の話で勘弁してください。
これには前編があるのでそれもついでに。。
「くわばら」
雷ガリガリ雨がざんざん
これは梅雨ですか?
にっくき梅雨ですか?
あれから一年たちました。カビカビ地獄の全敗大敗戦。
捨てた洋服、くつ、、あの子達の面影がまぶたにちらつく。
昔から雨嵐が大好きで、かみなりを聞くと心が癒されるほど、雨が降っている時に敢えて浴びる為に外へ出かけたほどの雨好きが、、今年ばっかりはおちおち楽しんではいられない。
去年はあちらの攻防が非常にゲリラ的であり、惨事に気付いた時は背水の陣、緊急対策本部が設置されるも事実、被害処理班
救済ボランティアの涙ぐましい努力にすぎなかった。
幸い、今年は仕事もしてないひまひま星人である。
去年の惨敗を胸に立ち向かうべく
お風呂場のタオル入れがカビでやられたので、それを取替え
たまに部屋でドライをつけるようにし、、、
除湿機をまめに作動し、、
昨日薬局で、「しっけとりカップ」を20個ほど購入した。
その量は、史としてはオーバーな過剰反応(トラウマからくるもの)と感じるが、
いんや。
まだ、たりんかもしれん。
と自戒する。
先週末、ぽかぽか陽気のなか、勇輝とお散歩、ひからびて枯れ葉と雑草とだんごむしとむかでのちっさいやつの巣窟と化していたおうちの前のプランターのリニューアルなどし、平和で健康的でほほえましい休日であった。
しかし、その日、、
おっそろしいものをみた。
普段から玄関先を花でいっぱいにして「素敵なお花屋敷」ふうのオウチの玄関が開いているのを、初めて見た。
そう、逗子にきてからそろそろ2年。その間あしげくその御宅に通ったわけではないがでも確率的にとても少なく
「あっ、あそこのオウチがあいてるねー」
「初めてあいてるのみたねー」
なんてフワリと会話していたが、
ふっ っと寒気がはしった。
・・そのおばさんが玄関をあけて「何をしているのか?」に着眼するまでに時間がかかっていた。
そこで二人が眼にしたものは・・・
ホラーである。
口にすべきか、、読んでいてショックをうけてチビらんことを祈る。
100個ぐらいの「しっけ取りカップ」
が、家の前のどぶアミの上にひっくりかえされていたのである。穴を開けて中に溜まったお水をきるために。
その量はあまりにも膨大であり、推測するに
「そろそろ湿気地獄の時期ね。去年のと、とりかえなきゃ」
っていう作業を垣間見たにすぎない。
しかして、あのオウチの大きさで、あのカップの量。
ひとクローゼットに3個?いんやそれ以上投入されているのは間違いない。
そう。史はまだ甘いのである。
ここの地に住むばけものの巨大な影におびえながら
また、薬局に走る。
「湿気取りカップ、追加でおねがいします。」
写真はほんのほんんのお一部である。

追記に去年書いた文章をのせましたので、脈略を汲み取ってくださ~い。
②黴がこわい。
結婚して、新しいおうちに住んで10ヶ月ぐらいかな、段々と家になれて作業効率が良くなってルーティーンワークが無意識に出来るくらい体と心がなじんできて、海も遊び倒したし真っ黒になって仕事も楽しいし、勇輝とも仲良しだし、ヘーワだなーってやあっと実感できていかったのにさ。
おうちの一階が黴に侵食されていることに気づき他を調べてみたら泣きたくなった。クローゼット、引き出し、靴箱にミドリやらシロやらのフワフワがびっしり。
こなっぽいすっぱいにおいとカビにおおわれた服やら物を衝動的にぜーんぶ捨てたった。(自分のだけね。)
で勇輝に話て一緒に何とかしようと思ったけど、今度は彼のダッフルがカビフワにやられているのを発見して奇声をあげてゴミ袋をもってきてー!ってさ。
史としては自分の物の大切、たいして大切じゃないって基準があるからとっとと捨てちゃったけど、ひとが同じようにしているのを見てもったいなく悲しくなったさ。家を守るものとして不甲斐なさをひしひしと感じてね。しっけ取るカップをいっぱい置いて、勇輝が除湿機を買ってくれて、だいぶ湿度がさがってきたいま、小康状態をたもってはいるものの。
発狂したくなるくらいやになって不動産やさんにクレームの電話までしてしまった。 ここでもまたはじめて。あんまりそういうの得意じゃないから今までしたことなかったんだけど。
カビ被害によるシシャ。
コート、セーター2枚、パンツ4,5枚、2人の靴たち5,6足、洗える素材のバック達は強引に洗濯して天日干し3日目。
二次被害 シリカゲル(良くおばあちゃん家の箪笥に入っていたアメちゃんみたいなやつ。)を大量投入したものの服が薬くさくてきられたもんじゃなく、意味無く洗濯機回す事3回。。。
書いてると終わらなくなりそうだ。もうやめよう。人が読む日記なんてなんなのさっと思っていたのに長くなりすぎた。夏が終わっていくのを感じるのは寂しいけどね、ファック湿気!
今日は秋晴れカラカラで洗濯物たちは嬉しげに風にふかれています。主婦的日記でした。
こんちくしょうめ。
2007年5月18日

昼夜大逆転。
昼色々やってよるねりゃいいんだけど、、理屈では簡単なんだけどどうもね。
今、いままで使っていたブログサービスに書いていたやつらのお引越しをやっとこさっとこおえて
3時まわってしまった。
思っていたヨカ面倒のくさいくさい作業でした。
写真がなければもう少し楽だったかもしれない。しかしせっかく撮ったのを一緒にあげてあげないのは
うかばれないと思いがんばった。
明日は燃えるごみの日、そろそろ寝ないとおきれない。逗子のごみ収集車(者)は律儀に定時にきっちりゴミを収集するので油断も隙もあったもんじゃない。
そう考えつつ全部うつしたブログエントリをひとりよがりに満足げにみてたら
あらいやだ。
昨日新しく書いたやつの前の日にあげたと思い込んでいたごはんの写真がない。
「昨日の残りの鶏のスープ」
(その前日はガーリックハーブ手羽元オーブン焼きなどの夕飯だったのだ。)
という一文で発覚した。
でも、もう気力がないから、ゲンダイツールの威力を行使して日付をいじってつじつまを合わせようと
思った。
今のいままで過去のエントリーを引越しする際ずうううっといじっていた機能だからもうお手の物である。
しかして、トップに新しいものがのらないのは寂しい。
思考回路もショートしてきたから、明日にまかせよう。
こんなんじゃ明日また昼ねちまうこと間違いなし。はやく普通のリズムに戻さないと社会不適合者の勲章がおくられてきてしまう。
職探しをしよう。史を仕事もないまま野放しにしておくとひどいことになる。
おやすみ なのですね。
追記・・・
これをあげて数分後、自分の記憶をたどっていくと「いんや、確かに載せた筈だ」
っておもって再度確認。
そしたら、整列の日に4枚目の写真にちゃんと載っていた。
あほあほしすぎて言葉もでない。
ひとり相撲もいいとこだ。
呆れ果て自分を放棄したくなる。
さよ おなら
しきりなおし
2007年5月 9日

しばらくぶりにブログを更新再開します。
年始から、持病の椎間板ヘルニアを治そうというと仕事を一時期やすんで・・・と思っていました。
2月、いざ打倒ヘルニアのためにブロック注射を!と思った矢先に子供を授かったことが判明しました。
ツワリがひどく、料理はほとんどできずに唯一の実行できる感謝のゴハンつくりもままならず「松屋のぎゅうどん」で夕食をすませてもらうことたびたび。
そのうちにツワリから解消されたらタイトルかわってイキナリ「にんぷみの妊婦のための~」みたいなブログをはじめようとサプライズ発表もふくめて・・・っと
頭では思っていたのですが、その後すぐ切迫流産と診断されブログやる気力もネタもなにもなく入院監獄地獄と戦い過ぎてしまいました。
5月2日、感染流産。 死産と診断されて今日、勇輝と2人で火葬を終えてきました。
夢みたいな5ヶ月、夢見てた5ヶ月。
いま、振り出しに戻されてしまったような感覚にもおそわれますが、この期間で教わった事、学んだ事、感じたこと沢山ありました。
赤ちゃんとは会えなかったけど無駄ではなかったと前向きに、ありがとうと恥ずかしくないようにまた勇輝と一歩一歩進んでいきたいと思います。
料理からとーんと離れてしまっていた数ヶ月、その間に結婚してから積極的に料理には向かわなかった勇輝が絶対安静の時期毎週末お買い物にいってくれて、つくってくれた炒め物、いろいろな料理。
タイミングも味付けも絶品ではなかったろうけど世界一おいしかったごはん。
海外に出張に行き、お酒好きだった史へかわりに高級なハーブティーやお茶類をわんさか買ってきてくれたこと。
親友の朋愛ちゃんが安静でうごいてはイケナイと、突然宅配でおくってくれたちゃんこなべセット。
ママがオウチから作ってきてくれた煮物類、炊き込みご飯、大好物の海老チリ、。(他にもたくさん)
「ナイショだけど誰にも内緒だよ」って今は旦那さんの漠くんとベトナムに行ってしまった彩ちゃんが
「ちょっとのへそくりだけどフミちゃんだけで美味しいもの食べてね」って胎教に良いCDや本の間にこっそりとはさんでくれたなけなしの餞別おこずかい。
死産後に、お見舞いにきてくれてどうしても目をあわすのは難しかったけど、パパが作ってくれたこんにゃくのピリカラ煮、高級でなかなか食卓には登場しない
立派なキンキの煮付け。(骨の処理に病院で四苦八苦したけれど。)
「パパが作った!」っていつも押し付けがましいでしゃばりのパパに悲しい思いをさせてしまったなと、その言葉少なさが胸がいたかったけど
ありがたくって泣きながら食べると味がわかんなくなるのにそれでも(煮付けるとき少々お酒をつかいすぎかなー)って少し笑えたこと。
味に贅沢な史がわがままに文句をいっていたせいか(ただでさえつまらん病院生活に添える花の貧弱なことよ。)
本当に沢山沢山愛情を「美味しいもの」にのっけて、渡してもらいました。
どんなにゴハンを美味しく頂く事が幸せな事か。って今まで本当に分かっていなかった気がします。
何を誰とどんなふうに、心に何を抱えて。。。
短い間に勇輝と二人、大切な人々に守られて助けられて。そんな半年弱の経験を、この世界に誕生させてあげる事ができなかった子を通して教わった事を絶対に忘れないように。
お互い様なのに、気落ちしている史を思って、勇輝がいままでやっていたブログを全面的にリニューアルしてくれました。
デザインからぜーんぶ。
無理に始める必要はないよ。っていってくれて、でもだから史は発信(発進)できるキッカケを作ってもらえて幸せとおもいます。
今回はまったく料理の話はかかないけれども、お休みしていた言い訳と今の気持ちとをまず書いて、ゆっくりと進み始めたいと
思っています。
焦らずたゆまずおこたらず。
ではまた近いうちに。
ゲッツ
2006年12月31日
やった。
念願叶って御節げっつ。
がんばった。
2006年、思い残すことはない。
ありがとう、そしてさよなら今年。
こんにちは、よろしくどうぞ来年。
写真などはまたあとで~
お疲れ様でした。
訂正。
2006年12月21日
決して誇張したかったわけではない。
が「伊勢海老」は2匹で5000だ。
とママさまから。
失礼しました。
あと隊長が体長になっていたと。
あれは、隊っていうほど兵隊がいなかったのであえて言葉の響きは一緒だけど違う字をつかったんだけど、
「ただの誤字とおもわれる。ママの友達も読んでくれているし、恥ずかしいからやめてちょうだい。」
と、おこごと頂きました。
はい。
でも今更修正してもあれなんで、言い訳で勘弁してくださいまし。
寝入れぬ夜の世迷言。
2006年12月10日
注※ いのぶた は 祈る野生のぶた と いのしし をかけての命名です。
母さまから指摘のコメントがありましたので、訂正文をひとつ。
鯛めしの文で鯛めしを焼く前に「鯛を焼く」ってポイントがどっこり抜けておりました。
当たり前の行程と思って忘れちゃっていたんだけど、忘れちゃならなかったですよね。、
すみませんでした。
塩を全体にふって弱火で焼き目がつくぐらいに両面焼いてください。
お店では尻尾が焦げたりおれたりしたら商品にならない(使えない)のでしっぽには
かなりきつめに塩をしますが、オウチでは一匹二匹の話。普通に焼けば問題はないでしょう。
生で炊いたらどうなるのだろう?ってそれから考えましたが、推測するに
・でかい鯛の場合、火が通りきらない可能性がある。
・仕上がりの鯛の美しさ(焼き目がついていたほうがなんとなく綺麗かな?)
・焼くことででる風味と旨みがゴハンに染み込むように炊いているとき反映される。
・鯛の身自体に味がはいる。
・焼くことで味と旨みが鯛の身自身にキープできる。
・「ゴハンを炊く」にあたって、鯛の火の通り具合まで気にしていられない。
とこんなかんじでしょうか。
夜中(早朝)の勝手な推測なもので信憑性は薄いですが。。
科学じゃなくて家学?問題→研究→実験→立証→レポート・・・みたいな感じ
そういやぁ、史は化学式はさっぱり解んなかったし興味もなかったから勉強しなかったけど、科学の実験は結構好きだったな。フラスコの絵を影いれてリアルにかいたり、 無駄な事だったんだけどね。でもあの絵だけでかなり成績は救われたはず。
疑問→考える→試す→結論。 って自分の世界の中での方程式をつくるのが楽しんだね、きっと。
それが、気にしてくれている人々に伝わったり、100%の方式では絶対ないけど、自分なりに分析と追求した結果を手にいれると、浅はかですが、、なんとなく安心して次に進める気がして、誰からの許可もなく、邁進しちゃってます。
だめ!っていったらもう終わり。
でも100%悪い事なんてそうないと思うんだ。物事って連鎖しているから。なんらかの原因と起因があって、流れていく流れの中での 出来事だったり判断だからね。
20歳くらいまでは 現実の「こうしなきゃいけない!」ってルールは全く理解できなかったし、悪いことしても反省はおろか罪悪感すらかんじれなかったわたし。
現実はこうである。って絶対的な意見とか価値観に全身全力反発していた。
自分は「宇宙人」というカテゴリーに当てはめて、やっとこさ地球で平和にくらせるなぁ って思って10年くらい生きながらえた。
自分は不出来の天邪鬼っ子だったから両親はそうとう苦労して、何100回泣いてくれたかわかんないけど、リベラルでフランクで愛情タップリな親に育てられても出来の悪い子はなかなか親の気持ちはわからない。でも、おおきくなって、親元をはなれて、少しだけ地球人に近づいてやっとわかることもある。あの時あの人がああいってくれた言葉、、とか。
結論・・色んな当たり前がわからない人間ほど時間がかかります。その時点で悪い、駄目!って決め付けて判断しちゃったらそこで時間は止まってしまいます.
(私は親が甘かったから、姉の彩ちゃんが守ってくれたから、良い友達に、良い人々に恵まれたから)今、こう感じて生きていられています。
が、世の中はそんなにあまくはないと思います、日々のニュースをみて。
史は浅はかな人間でありまして、直ぐに「白黒はっきりしろ!」って思う淡白な性格ではありますが、逆に自分が生きさせてもらった環境は、常にグレーソーンを、用意してもらっていた気が します。
「一般的には駄目と思うけどしっかり考え、感じなさい」」ってね。 それは価値観はおしつけないけど感じながら考える必要性を暗に指摘して頂いていたんだと、今はおもいます。でもあんまりひどかったから高校生の時は大批判を幾度も食らったけど。地元ちゅうに響き渡る口論。とかね。( ほんとすみませんでした。)
短絡的ではあると思いますが、
たとえば・・・
今の世界と現実に苦しみと憎しみと諦めを抱いている方、凶器として。ではなく、人を笑わせて幸せにするために包丁をもってみてはいかがでしょうか。史が人をどうこうしたいって気持ちあって包丁に向かったわけでは勿論ないけれど、、作る作業の中で体(労力?)と気持ちがはいっていたら乗り越えられる弊害は蹴散らせちゃうくらいの力にやってる間、そのウチなります。美味しいものを作り、食べてもらうことで得られる幸せは絶大です。
人を傷つけるのではなく、人を喜ばせるための刃物も存在するのです。
切れる包丁は、厨房では聖剣です。そこから美しい剥き物や、美しいお造りや、、分刻みで生まれて行きますからね。(たとえば、切れない包丁でねぎを打ったら切りにくくて時間はかかるし切り損じのねぎは繋がるし繊維は潰しちゃうし、日持ちもしないしね。)
自分の至らなさを耐えてくれる人への感謝が出来なかったら解らない感覚と同じく、
食材への敬意と道具への感謝なしに料理を作るって幸せはかんじれないんです。
なにを言いたいのか、自分でも意味不明になって参りましたが、今、悩んでいたり 困って苦しい状況にあったとしても、多くは時間と自分の意思が解決の糸口になっていく。と信じなきゃって思って生きていくのが、幸せへのとっかかりなんだろうな。
と、そう思うのであります。
だから史は、出来損ないの不良娘は、なんとか「まあ、いいんじゃない?」もしくは「調子良いそうだけど続けられないんじゃない?」」みたいな感想を受けつつも何とか自分が抱く幸せ。を形にしてゆきたいと妄想と夢を抱きつつ、この世界に少ーしいさせてもらって、ひかげからやんややんやとイチャモンをつけていこうと、思います。
生きてて良い。
いまの現状は兎も角、人はみんな生きてるだけで人を幸せにする(死んだら悲しい)。これが根底です。
史が生きることを前向きに考えられるようになったのはその言葉を周囲の人々がヒツコク言ってきれたから。それに感謝するのだったらその人たちに恥ない様生きていくしかないですからね。強くならなきゃ。
くさい話になりましたが、なんとなく。
また朝方で眠れず寝そびれ、酔いそびれで変なテンションで書いてしまいました。
支離滅裂意味不明ですがおいおい訂正、謝罪文を書きます。
じゃあね。おやすみ?おはよう?
お疲れ様でしたー
起きちゃった朝の魯山人。
2006年12月 1日
昨晩は上手く寝入る事ができなくて、朝早ーく起きてしまった。
たまにあるんですよね、眠りの世界にどうしても溶け込めない日が。
そんなんで、家事をするにも早いし、ブログを書くには心が静か過ぎるので
「日本料理の四季」って雑誌の魯山人特集をよんでいた。
そこで急激に感化されちゃったのか
「料理と器」の関係性。
勿論史も基本的には器は重要って思っているし、手持ちのふだを駆使して使ってはいる。
が
種類も良いものも少なすぎる。。ヒャッキンで少しレパートリーを増やそうか。とも考える。
もしくはお母様にいくつかお借りしてくるか。。
これを読んで下さっているであろう、ママさま、遠まわしですが使っていない、枚数が沢山あるお皿、いらないお皿、貸していただけないでしょうか。沢山お持ちなのは存じ上げております。
「わるから・・」といわれそうですが、この一年、少しキコシメシテいた夜、ワイングラスが棚から落下してきた事件(朝おきたら床にはガラスがちらばり、血痕あり、足が痒いと思ってかいたら血がでてた。)以外に器を割ったことはございません。
「快い承諾」をお待ちしております。
すこし話が逸れますが、今朝ママから駄目だしメールがとどきました。
「コメントがかけない、悪口の削除(命令)、調味料のボトルはいかがなものか。」うんぬん。
だから読んでいただけているのでしょう。駄目だしとてもありがたし。
まだ模索段階なので、、、ジョジョに改善していきたいです。
あと写真も「なってない」と
ごもっとも。
でもね、言い訳させてもらうとあれはね、「おなかすきすき、さめちゃうさめちゃう、はやくはやく、、あーバッテリーがもうないない、、」
って生活のなかでの大変大急ぎのただの1枚っきりショットなの。
お料理のほんは、色々見場を考えて、ちょっとかえたり修正して撮るため!!の写真でしょ?あの人たちはその後食べやしないでしょ?(たぶん、違ったらすみません)
だからその辺はくんでください。
しかして、お言葉を頂いたからには、もう少し慎重かつ冷静に、対処していきたいと思う次第でございます。
戻ります。
魯山人さんのこと昔、親の会話でしか聞いたことがなかったころ、日本人、外国人みたいなチーム?
だと 思っていました。凄いひとなのに実は呼び捨てなのね。
でもいまは知っています。ちょっと奇人変人の天才。
凄いお方です。 ちょっと興味を持ってみてみてください。
史の愛読書のひとつ、美味しんぼの海山さんはたぶん魯山人さんのイメージだとおもいます。(違ったらすみません。)
以上、魯山人さんによって浮上した器の悩み事と必要性でした。
感謝と収集癖とラブレター。
2006年11月27日

収集癖。
料理に関するものならなんでも楽しんでみてしまう、読んでしまう。
これ病気
わかっていてもやめられない。
たとえば朝のはなまるで料理の特集がやっていたら、チャンネルそのまま。
基本的にテレビそのものには興味のない人間なんだけど(好きな作者の読みたい気分の本を読むほうが
無駄なく幸せ。)豚肉特集だ、茸だ、結構頻繁に料理のネタが放映されるからついみてしまう。
専門的な料理本じゃわからない楽ちん技の宝庫だからね。
あと最近じゃ「しけたどこぞのおばさん」。じゃなくて有名シェフがバラエティーに出てくれるようになって信用もできてシェフの個性と魅力もかいまみれる。
もちろん彼らにとってはおこずかい稼ぎと知名度やらの理由ででてるんだろうけど、。
それにしたって見る価値はある。
旅行番組、これにはその土地の名物やら市場やら料亭、旅館がつきもの。(終盤にね。)
あとはその他の料理番組。バラエティーにおおくある。
日本人は美味しい物がとてーもすきな人種なのね、全般的に。
だから驚くほど料理、食材、飲食店めぐり、、をベースにした番組がたくさんありますね。
美味しい物を食べるのは「人を良くする (食)」の大切なポイント。生きてく中で抜きにできない3原則。
史は胃袋的事情から一日2,1食と、はずかしながら 困った食生活だけど。。
変な物食べるとおなかいたくなるし、お腹一杯になると(食べる物によるけど)かるく1日くらいはおなかがへってくれないんです。
だから一食の気合と欲望はひとの3倍。って勝手に解釈。
史がチイサカッタころ (体は小学6年生からかわっていないが、メンタル&年齢面で。)
高校くらいからかな、婦人公論を読んでいました。ただなんでも読み物が好きだ、って理由もあるんだけど
たいてい料理の記事と季節によってお取り寄せ特集など組んでたりして、こだわりのおいしそうな食材、商品がよくのっていたから。
だからママが読み終わった「おばさん雑誌」を愛読し、料理に関係するものすべてをスクラップしていた。
ただの趣味です。でもそれによって沢山知識を得れたと今思います。
それから本格的に料理の世界に足を踏み入れていくにしたがって情報を得る場所がもっと特化していったんですね。専門○○だとか、いろんな料理本。
それまでは家庭料理のカリスマ女性達が出版する本を買っていたんだけど、19になったころから
「かっこいい本物」に傾倒してゆきました。あこがれでした。大好きで尊敬するシェフの出す本を買いあさりました。
イタリア人シェフ、フランス人シェフのイタリア語フランス語の本とか沢山。
読むために辞書を買って、引いて引いて解読。そのおかげでイタリア語、英語、フランス語、スペイン語をかじってほーんの一部で浅い浅い知識だけど身につけることができた。
勉強にはまったく興味がなく、みんなが受験勉強していた時史は先生と両親に
「板前さんになりたい」といって迷惑かけて塾は嫌いだから変わりに「好きな本を読む」って本ばかり読んで全く勉強しなかったけど、、
弱点(限度がわからない)、というかすばらしい事に、料理にたずさわるといくらでも勉強できる。
そのため。って思ったらなんでも学ぶ。
どんだけすごい原動力をもっているのだろうかね。
ただ史がすきだからこそ、なんだけど、料理は麻薬。
だってちゃらんぽらんでだらしない史を、中高時代でも、キャンプにいったら「料理長」
英語とアメリカなんてサラサラ興味なしの史にアンだけ勉強させたのもCulinary Art という料理のコースを選択して、日本人だけど、英語しゃべれなかったけど、認めてもらってちゃんとやりたかったから。
こうやって思うのは、人間は好きな事を好きなようにやればいい。ってこと。
ヒトから強制されて素直に動ける人じゃないスーパー天邪鬼な史だって、こんなに一部では一生懸命に楽しくなれるんだもの。
それまでの史の素行に接していた人、見てきた人にはうなずいてもらえると思う。
いまさら以前はあーでした。っていう文はかきませんけどね。
勿論料理をしていくにあたって(愛しているからこそ)たーっくさーんの挫折をあじわったけど、でも、まだ好きだもんね。
「史はなにになるの。」とか「あなたはどなたさま?」って質問されたり馬鹿にされたりもするけど
昔だったら傷ついて泣いちゃうくらいイタイ言葉も、最近は
「史はなりたい史になる。」
でかたせちゃうようになった。
本当に料理によってそだてられ、生かされている。(あとは甘い甘い史の家族と、勇輝と、友達と、一緒に働く料理界の方々。)
勉強面では向こうでは外国の本が安くかえたから買いだめしたり、逆にアメリカにいる3年間は日本料理のほんを日本の本が集めて売っているUSEDの本屋さんにいってかったりシアトルの「宇和島屋」でかったりね。(この店はたとえばヤオハンみたいな店っていったらわかる人はおおいかな?)
イタリアに旅行にいったら洋服よりもブーツよりも料理本がほしかった。
働いてきたお店のメニューもダイタイ集めてたし、一緒に働いた板さんからその店のいままでの献立や、割り表をコピーさせてもらったりしてきたみたい。
毎日メニューを変えていたイタリアンの小さなお店ではほとんどホールの仕事だったけど、ワインと接客の勉強をしつつ店のオーナーの女性と毎日メニューをしこしこコピーしては、前の日の捨てるメニューをもらってかえってきていた。
イローんな自分がしてきた行動を冷静にあげてゆくとやっぱりただのオタクだな。っておもいます。
でも何度も引越しして沢山物を捨ててきたけど、初めて働いたときのやくにたたないメモ帳やいろんな店のメニューは捨てられず宝物になっていっしょにお嫁きた。 そん時の気持ちを音楽で思い起こすってよくあるけど、それ以上に、そん時もらった手紙みたいに
ばーって思い起こす、その時の自分と環境、一緒にいたひと。(恋人とかじゃなくて一緒に働いていた
と)
料理の魅力は今日は触れません。終わらなくなりそうだからね。
こんなに効率ばかり考えてるメンドクサガリな史が唯一無駄バッカしている料理と人生のちぐはぐ歩き。
面倒とおもわず、その前に行動しちゃうのが本気だよね。
恋も愛も一緒。
なんかオッきい話になってきちゃった、。すみません。
でも史は料理に成長させてもらっていきてきたからごちゃ混ぜになっちゃうんです。
今回は料理すべてにラブレターみたいに思いをただかいちゃいました。
一生消えないから一生楽しんできます。
なんでもない史だけど、実現不可能か?っていう料理に携わる「夢」を持ちながら日々の目標を生活と一緒にいきていきたいと、そう思ってます。
まだ自分の生涯のなかで実現したい料理と社会の関わり方を文に書けるには至らないので
いけるかな?どうだろな?って思えるようになったら
いつか
その夢ってやつを書いてみたいと思います。
家族(生まれたやつ、つくったやつ)、友達、猫(特に一緒に生きた家の猫、家族だね、死んじゃったのも)と料理で史はだいだい満足の死ぬまでハッピー
です。
以上料理と史が生きてくのを助けてくれてる人々への感謝状でした。
アツクテすみません。どうも歯止めがきかなくて、、。
レシピなしの、はなまるを傍目にみながら思いついて書いちゃった文でした。
おつかれさまでした。
かつおはいつかけるんだろ?
かつお君はなかなかむずかしくってまだだめだなーって思ったからなんか書くのに抵抗があるみたいね。
また挑戦して、気持ちよくおろせるようになったらかこうかな。
ではまた。
ありがとございました。