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FUMI
半端流離料理人
fumi@you-king.com





むくむか づつうか げりか なく か わらう か。

2009年4月20日

                    なにを思ったか銀之助、突然エスプレッソマシーンの上。
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成田発の飛行機は無事にサイゴンに着陸し史達をベトナムに連れて行ってくれた。

飛行機とかけつけ2杯のビールに酔いながらも 日本で終わらせられなかった最後の準備をしていた。

だいたい、なんであんなでっかい物体が上空何万メートルも上がって飛び続けることができるのかが いまだに理解というか納得できず、 
作業しながら史は聖子ちゃんに

「落ちると思ったら、ベルトは腰骨の上にがっちり固定して、おなかと頭にブランケットや枕をおき、肘で頭を囲うように固めて、足はあぐらをかいて可能なかぎり体をまとめると 死ににくいらしい。(しぬときゃなにをやってもしぬが、、)。 これはマスターキートンがそんなことを言っていたうるおぼえ。」
とか
「外気は酸素の量が足りないんだから、酸素を空調が送ってることになるんだよね?ってことは酸素ボンベが壊れたらアウトだね。。 こんなにたかいところにいるのに 高山(空)病にならないのはなんでだろうね。?」
とか 
「こんなあほみたいに早く移動しているのに スカイダイビングみたいに 顔がぶおぶおぶおってならないで普通なお部屋にいるみたいのはなんでだろうね?疲れるにきまってるよ、」
とか
「スチュワーデスさんが花形の職業の時代はおわったかね? 昔はかっこいいと確かに思っていたけどさ、実際オトナになってから改めてみてみるとさ、空飛ぶホールのウェイター より大変だよね、なんでもこきつかわれてきっと足もむくんじゃうよね。きつい仕事だよね。」
とか
「やっぱり飛行機ってものに色々 騙されてるきがするよ、おかしいことが当たり前ですってなりすぎじゃない?」

「あーでも、前パパは出張をよくしていて、ある時浮いちゃうくらい急降下してどどーんばあって酸素のマスクが降りてきたことあったけど、そんなのでも今もぴんぴんチャラチャラしてるから絶対に大丈夫だあね。」

とか。


作業をしている間もずっと ちょっとでも生き延びれる秘訣や 逆に不安にさせたり謎をきいたり愚痴をいったり始終話しかけていた。

話が合うので、2人で死なないのポーズの実演を一緒にやってみたり、

聖子ちゃんは史に
「もし私が死にそうになったら 私の立派なじんちゅう(鼻のしたの線のとこ。)を押しながら 聖子!聖子!って呼んでね。生き返るらしいから。」

占い師か誰かに聞いた生き延びる秘訣をお返しに教えてくれたりして、あんまり快適とは言えない、疲労もたまった飛行機の中で周りが寝静まっているのに妙なテンションで起きていた。

糸を切っては貼って。 行く前でも いずれ彩ちゃん達が見慣れぬ沢山の色ごとに入った袋やアクセサリーパーツの種類の多さに翻弄困惑しないよう作戦を練っていた。
こっちはそういったものが得意なバックデザイナーを隊長に毎日使って触って買ってリストを作って、、(大事な事は大体2人でダブルチェックをするようにしていたので尚更。)って慣れていたし、 その種類の多さはたいした事では無いと思っていたけど突然どかっと渡されてあと10日間で私達居なくなりますからね。って ゆわれたら心配で彩ちゃんはパニックになってしまうだろう。当然だ。だから刺繍糸は4ブランドの36色。アクセサリーパーツは小さくてパッと見てすぐ覚えれるものではないし、ツールなども含めたら大量のアイテムをベトナムに持ち込むことになる。

彩ちゃんは作り手ではないからなおさら馴染むのにじかんがかかるだろう、。
少しでも見分けやすいように はっ付けるために白い紙に刺繍糸の名前と品番をマジックで書いたり。早見表を作ったり。
字が汚い史は何枚か書いてみたけど、なんだかきたないから こんなのだったら聖子ちゃんが一人で書いた方が美しく仕上がる。 と思い すぐ紙を二つに切る役目に回った。

それは全く頭をつかわない単純作業なもんで、あることないことベラベラ話していたわけである。使い物にならない人の雛形にしてもらいたい。

如何せん料理しかやってこなかったため、日本チームの途中の開発段階では作業手、と「やんややんや隊長 に就任し、あーだこーだ言いながら夕飯を2家族分作る賄部に所属しやってきたが終盤はテキストの書類作成からマテリアルの単価、使用個数、全体のこまかーいパーツごとのコストアウトやら買出しリストそのたものもの ゼーンブ聖子ちゃんが作ってくれた。

それからしばらくして、ダンダン「はーこれは棚卸の書類みたいなものか。 とか メニュー だ。 とかレシピだな!」 とか レストランで使ったり作ったりしていたものとおなじような ただ、食材じゃないだけだ、。ってことがわかったけど、最初は 分けはわかるし、これがあったら俄然やりやすくなる!!っていうのはわかったけど、自分でで作成できるきもせず投げっぱなしでいた。出発までの間に分かる事もなく 今回の重要書類全て史が手伝うには至れなかった。


{その罪悪感(なんにもやれてない)はベトナムにいって子供と接しながら毎日皆一丸となって頑張っていっているにも関わらず、自分の無力さとタッ買いお金かけてきてんのに役立たずな自分への苛立ちををどんどん募らせていた.. 何日目か覚えていないけど、情けなさが爆発して大鳴きをして2人を困らせることとなる。。
でも申し訳ないコトに自分を嘆いた咆えた?ことは覚えているが細かいことはおぼえていない。}




到着したホーチミンの国際空港は夜の11時過ぎくらいだったにもかかわらず何をしているのか到着の人待ちか 大勢の人々がワラワラ入り口付近に集まっていた。
空港を出た瞬間うだるような暑さに吐き気がし、体中急に浮腫んでパツパツになって目眩とえも言われぬ倦怠感を感じて、、、 
ふっと聖子ちゃんをみたら まったっく同じ事を感じているえも言われぬ表情を返してきた。

気温34度くらい。 肌寒い日本から突然の高温湿度に体は全く順応できなかった。
フエに行く便はもうない時間帯だったので 旅行会社が手配してくれたお迎えのハイヤーにフウダラと乗り込む。

いつものくせでタクシーの中で 携帯をいじっていたら 電波の部分が電波を表示していることに気付いた。

ありゃ。なんか 。電波?ばりさん?(古い) まさかね〜 って まさかもまさかに 確認のため。と思って、勇輝に

「着きました。なんか電波が入っているもんで まさかね〜届く分けないよね?」

あは?って感じにSMSを送ってみたら

おったまげた。

直ぐに、
「すげ〜。届いた〜!!!」
って勇輝が返信してきた。

なんとも。

予め国際使用に設定したわけでも 申し込んだ訳でもなかったのに使えちゃったのです。

さすがiPhoneさん。 ちっさい神様みたいなやつだ。

エモイワレヌ倦怠感でどんよりしていた我々のテンションがぐいんと上がった。

海外で、寂しかったり とっても遠く感じられる要因は、
「思った時にサクット連絡を取れる手段が無い。」

からだ。ということが判明した。日本と同じように携帯で連絡が取れる事がこんなに安心感を与えてくれるとは!

調子づいて、ホテルの部屋でエアコンをガンガンにつけシャワーを浴びて体力が回復しテンションの上がった史は寝る前にずっと 同じiPhoneユーザーの聖子の旦那様としくんにもSMSを送ったり又、勇輝に送ったり受けたり送ったり 勇輝は電話を掛けてきたりした。

いくらかかるのか、は誰も知らなかったから 乱用はひかえつつも、ベトナム滞在中は互いの都合があえばSkypeやメールをするとは思っていたけれど、何かあったらすぐに連絡を取り合う事を約束できて、ほんとにほっとした。

知っている人に取っては当たり前の話なんだろうけれど、とても幸先の良い話で今回のベトナム滞在が上手く行く。と なんとなく信じたくなるくらい嬉しかった。

(一日数回のSMSと 3、4回の国際電話で 今回の請求はいつもより1万円弱高かったがプライスレス。)


気が小さくて寝付きの悪い史は 初日 殆ど寝れなかった。 そんなのは想定内だったから別に気にしない。ただ、体力がないしダウンして皆に迷惑をかけないかだけが少し不安だった。ベトナムにいるあいだ10日間ずっと聖子ちゃんと2人同じベットで寝たけど、初日の
「自分で巻いていかなきゃいけない巻き寿司さん。」
の寝姿がいっちばんおもしろかった。

両手を頭の上に ピンッとのばして、ダブルのベットの端から「真ん中あたりまで」すのこで巻かれるようにすごい勢いでグルッツぐるっと回る。早い。 大変忙しそうで辛そうなかおをして。 ですぐ ぐるっぐるってもどる。(ちゃんと海苔が巻き付かなかったみたいだ。)寝ているのに苦悶の表情が見て取れておかしかった。
 

史はあんまりにも寝れないもんで椅子に座って本を読んでいたから隣で寝ている分けではないので、端から端までいってもよさそうだし、勢いでベットから落っこちないのが    寝てるのに律儀で一生懸命で聖子ちゃんらしくてとても 良い。   とみていた。

次の朝その話をしたら
「そんなこと、するわけがない!」
って否定してたけど。 みてたから、嘘じゃない。 第一寝相の作り話に巻き寿司になってたみたいよ?なんて想像力は持ち合わせていない。

さてさて、一向に話が進まない。

フエに向かう飛行機は2時発くらいだったけれど、この温度差で体の疲れもまだとれていない中でホーチミンを観光するのはとても危険だ。と意見が一致し、朝食を長い時間をかけて食べ、体力温存。 ちょっと紙ナプキンを取ろうと手を伸ばしても汗が ぶぅ っとでる。
つらい。体温調整に汗をかくと体が楽になるはずなのにイッコウらくになれずむくんで気怠いままなので、あらためてベトナムむしあついぜおそるべし。 と思った。

フエの飛行場に彩ちゃんが迎えにきてくれていて いままでメールやSkypeでのやり取りだけで何ヶ月コミュニケーションを取っていたので 尚更やっと肉体で会えた喜びひとしお。はっぐりとハグを交わした。

ただ移動しただけの一日だったのにごっつり疲れて
「これは、移動とか気候とかなんとかではなく、もしかしたら年?・・・」
アラサー(around 30 の略まさに自分たち。)の恐怖。いままで知らなかった踏ん張りの利かない疲労にへこむ。

これからはもっともっと年上を大切にしてゆこう。と心に誓う。

その夜はウェルカムディナーで漠と彩ちゃんは海鮮レストランに連れて行ってくれてねぎらってくれた。 久しぶりの本場ベトナム料理に舌鼓をうち、美味しんぼの史はだいぶ元気になった。


翌日から待望念願の実践教育。軽く寝るまで打ち合わせをして就寝。

なじめ体!って叩きたくなるくらいむくみは取れず頭痛がして不快な体調だったけど、しのごのいってられないので、 病は気から!!と念じつつ元気にいざ初出勤。
当初彩ちゃんは

「自転車で片道20〜30分の所に通うから、体力つけてきてくださいね〜」
など、メールで書いてきてくれたけど、出発前に体調を崩していたのと、脚力ゼロ、椎間板ヘルニア持ちの史はとっても自信が無かった。なんでもレンタカーはもってのほか、レンタバイクもないらしい。。

聖子ちゃんも奇しくも同じやっかいなヘルニアを持っていたから、素直に不安である心情をうちあけたところ
「私だって、正直きついと思うし、ゆって自分たちは体力作りにいくわけでもなんでもない。 それでダウンしたら本末転倒だし、彩ちゃんには申し訳ないけど最悪タクシーでも良い。 金銭的にきびしいのならタクシー代は日本チームの自腹でもいいから自転車はやめておこう。」

と。英断だと思った。史ひとりだったら無理して腰いわすか、疲れ玉こさえて寝込むかどちらかだったとおもうけど、その発言で彩ちゃんにはより面倒な手間と苦労をかけたけど、ボランティアの子達に連絡しアレンジしてくれて、大体の日はバイクの後ろに乗っけてもらい登校することができた。

彩ちゃんのピンキーは馬力がなくて慢性パンク状態で馬車馬の成れの果みたいに弱っていて去年史が来た時からの彩ちゃんの毎日の忙しく奔走していただろうその行動を彷彿とさせた。去年は史を後ろに乗せて快調に学校まで行っていたのに、 もう一人で乗っても馬力が全然ないんだ。だからボランティアのバイクは出来れば2台手配して、1台の日はHHPで購入したレッドローズに聖子か史が乗り それが無理なときはレッドローズで2ケツして彩ちゃんが運転、史がケツに乗り聖子ちゃんがピンキーを漕いだ。

ボランティアで頼んでいる手前あまり無理させて離れていってしまうのも困るから怒ったりはできなかったけど、かといってドタキャンをしたり、時間を守らなかったり、ベトナム人がっていうのは多分失礼だとは思うが そういうことが日常茶飯事だった。

彩ちゃんは携帯で始終アレンジにおわれていて
「ボランティアの子達を使うのはとても不確定だし、替わりのイベントなどをしてお礼?楽しさを味合わせてあげないとやめちゃったりするし、気苦労が耐えない。」
と言っていた。
    
銀之助半年。このしゃしんをみてあらためて今のデブ?キンノにハグをしたいとおしくて

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身も蓋もないが、お金で解決できることは多い。と。
短い間端で一緒に見たり、やったりしていたけど、本当にその台詞は・・しみた。

ボランティアなのに、だから、ベトナム支社長 彩は銭ゲバのようにならざるを得ない日々を送っていた。

「なんとか、お金を作って、社長に渡したい。」
と我々も強く願うようになり 電卓を皆ではじく毎日になった。

彩ちゃんが運営しているフーヒップの学校(といっても一つの部屋だけで長机が6個くらいと椅子が20個くらいあるだけの小さな部屋。)に電力を引く工事をしたり電球を買う、学校が使う水道使用料金も隣に住むあこぎな目つきの悪いおばさんに徴収される。子供にまともな授業を受けさせるために「コーハー」というおばさんを先生として雇う。 子供達の朝ご飯、ノベルティーグッズのパッケージやリーフレット、子供達の写真のポストカード、もちろんアイテムの材料費。その他ものもの。
教育のポスターを買って貼るのも、暗くなったら近所の子にその子の家で使っているライトを貸してもらうのも、。いままでincomeはdonationだけで全てを賄わなければならなかった。
子供に勉強をさせたいがためにもお金が必要であった。
「クラスに出たら、ビーズを作らせます。綺麗に作ってきたら買い取りでお金を支払います。」
というルールがないと、子供達は親に言われて、もしくは自分から市場にゴミを拾いにレストランの外で物乞いをしにいってしまう。。


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親に利用され、守られず、教育をされてこない子供達のお金に対する執着心は餓鬼のようで、初めてクラスにいった日の最後のほうに子供達が突然
「ティンティエン!ティンティエン!!」と皆が執拗に騒ぎ始め収集が着かない状態になってしまった。
 それまではザワツキながらもなんとかレクチャーできたなぁ、って思っていたのに 声をはっても、説明してもこちらの言葉を理解しようという気もなく 手を差し出して近寄ってきて訴えかけてくるその圧力は その日得た全ての楽しさと成果と達成感を踏みにじるほど圧力的で なんとも寂しい気持ちに落ちた。

ティンティエンはお会計。の こと。



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これが現実。
彩ちゃんの毎日。
彩ちゃんは英語で「そんなふうにしちゃだめ。ならんで!じゅんばん!ずるするなら 出て行きなさい!」
などと真剣に彼らに取合う。けど、そんなのにまともにくらう子供なんて一人もいない。毎日のように大人に怒鳴られ叩かれ、怒られることなんてなんでもない。慣れっこなんだ。

どうせなにをいっているかわからないし、何をしたんだって勉強をするんだって 結局のところお金がほしいだけなんだ。 5円でも10円でも。

かぎ針を持たせて、練習用に用意してきた白い刺繍糸で皆にリングを編ませたら、日本で想像してきた以上の手応えがあり、そのうちの 1人 「beちゃん」はダントツで驚愕するほどのものを作ってきて
「これだったら、なんとか日程以内に、自分たちが考えてきたプロダクトを完璧に作らせることが出来るかも。」
と安堵した初日の最後にくらった出来事だった。

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去年旅行で来た時も彩ちゃんとずっと一緒にいたので、この村も、子供達も知っていたけれど、今回は気持ちのいれようが全く違う立場でやってきたのでショックだったのだとおもう。

一個作るといくらもらえる。っとわかったとたんに熱心に作業をするようになり、乱雑に作ったり、ほかの子の作ったものを取る子がいたり、早く終わらせようとルールを無視して狡する子がいたり。。。

何ヶ月も沢山の気持ちと時間を費やして彼等のためだけにやってきたのに、そりゃないぜ。。って少し思ってしまった。

でも、考えればひどい環境のなかで生まれ育てられた子供達がそうなってしまっているのには子供達には罪は無い。

既にある事の過去や現状を悔やんだり嘆いたりしてもなににもならない。未来に少しでも幸せになれるように、楽しい時間が過ごせるように、ちょっとの夢が持てるように、良い物を丁寧に心を込めて作る事 そのものに価値があり、その姿勢でやっていけば絶対価値の高い良質なモノツクリが出来るようになるんだと信じさせる事、HHPはその為だけに存在して彩ちゃんは子供達のためだけに 毎日毎日動き考えているんだ。

ってことを、このプロジェクトの授業をするわずか1週間で、 なんとかその中で 真剣さや 自分自身の誇りと僅かな希望をみせてあげたかった。

ブレイク。べべさんとぎんの。好きだけど手に入らないキンノもどかしべべあやうし。
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日本に帰ってきてから勇輝が史に「俺はあんまり興味がわかない。日本のこれからのほうがよっぽど心配だ。」っていっていたけど 当然だと思う。最初ちょっとびっくりしてしまったけどそういえば自分だって同じだった。

きっかけはモノを作りの誘いで、たまたまそのフィールドがフーヒップであっただけの始まりだったから。

彩ちゃんがHHPをやらなかったら、史は誰かが困っている事は知っていてもなにも出来ないままでいたかもしれない。実際日本にも助けを必要としている人々は沢山いるし、里親だって、難病で苦しむ子供への支援だって、募金だってなんでもできたのにしてこなかったから。
何かでもできるかもしれない。 って自分自身のやる気と実感、とチャンスがないとボランティアって行為は簡単にはし始められない。

今回はたまたまの連続で彩ちゃんがBAKUの奥さんでベトナムのフエに行って、時間があって、優しくて、がんばり屋さんで、聖子ちゃんと出会って仲良くなって、物を作り出す事が好きな2人に時間があって、、、てコロコロと次々に繋がっていく偶然の連続で始まったプロジェクトだった。

その流れだから胸を張って「わたくしはボランティアをやっております。!」
なんて言えないし、いいたくない。たまたまだから。そこまでの立派な精神はまだ自分には無い気がする。

でも、学校に行って、僅か10日間の触れ合いだけで、心がぐうんと動かされたのも事実。

それを恥じる気もない。じょじょに気持ちが出てきて、このプロジェクト期間たっくさんの心を使った。

前記したが ベトナムで過ごした何日目か、あほうみたいになきじゃくってしまった。。
オトナになる前の、自分の武器と生きる方法をまだ持っていなかったころの理想と現実の差異を認めたくない 気ばっかりが強くてちいちゃい史がでてきた。
なにかしたい、しなければならない、なのに何にもできない。 って悲しさと悔しさに喰われちまった。
ベトナムにきた意味、自分が出来ない事への至らなさが、彼等の苦しさ、見せてあげたい夢。。 伝えたいことと 現実の狭間にたゆたう不条理とごちゃまぜになってしまってその気持ちをなんともできなかった。

はた迷惑この上なかっただろうけど、今思うと どこか懐かしいような心の骨の部分が堪え切れずに流した涙だった。



その泣いた日ベランダで 明日の会議も終盤で寝ようと思っていたところだったと思う。
ちょうど優しい黄色オレンジの大きめの月が出てて、突然、トラちゃんとひさしぶりに心が通ってしまった。

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(幼いころから20まで一緒に育ち溺愛していた猫で、死んじゃった事が悲しすぎて史も生きるのを止めたいくらい愛した猫だった。トラちゃんと結婚するってずっと言っていた。
皆はオーバーだと言ったけど、猫だしっていったけど、本当に置いていかれちゃって心がぶっこわれた。

あんまりにも寂しいからトラちゃんはお月様になったんだとその時決めた。

見守ってもらえるし、見上げたらほぼ毎日会える、あとなんといっても雰囲気というか静な優しさと色の感じがそっくりだったから。)

その日ベトナムの空に浮かんだ半端な形の月がそのおつきさんが しっかり アノ時想っていたトラちゃんに見えた その瞳そのものにもみえて。20歳くらいの不安定で何かを嘆いているばかりの自分が出てきた。 

その、、なんでもない自分に腹が立ちます。と。心通じ合えたことは暫らくはなかったのに、
10年もたって、落ち着いたし、変わったって思っていたけど、どうやら強い部分が増えてしっかり身に纏えているけど、死んだ猫に助けてもらってギリギリの 弱いちっさい自分は心にまだ住んでいたと分かった。
 
30歳にもなっても やっぱりまだなーんもない自分が無力でやりきれない気持ちがそうみせたのか、 そんな史を見ていて久しぶりに姿をあらわしてくれたのか、どっちにしろ悲しかったし有難かった。


そういう気持ちのぶれぶれで暫くいたので、自分の書きたい事がとまらない。

普段だって「文章が長過ぎる。」って不評なブログなのに今回はさらに簡潔にまとめあげれる気がしない。。

今回は心情を書くだけでここまできてしまったので、次こそ、ベトナムでのプロジェクトの話を書いていきたい。せめて3部作でとめたい。 

心が揺れるもんだからトラちゃんの話までそれてしまった。
(トラちゃん べべさん 銀之助 足袋ちゃん。 今のところ。 史はお婆さんになることができたら、暇だったら猫さん達の本を書こう。 と今決めた。  沢山あるみたい。 書きたい事が。)


ぐだくたになって2弾。

次はきっちりあげる。!

長いし、読みづらいと思いますが、すこし興味を持ってくれたらもう少し暇をみつけて
どうぞ続きをよんでくださいと思っています。

あることあること書かないと。 そこにあったことは事実でここからの糧となる。と信じてるんで。









生み出すこと。 はじまる と はじまり。 

2009年4月16日

抱き合って眠る銀之助と足袋。

IMG_0950.jpg3月の27日から8日まで、ベトナムに行ってきた。セーコちゃんと二人で。
旦那様たちと猫達を残して。

旅行ではなく、仕事?で。

ボランティアは仕事だろうか、〜のために〜をしてはいるが、決まった規則もないし
お金をもらえるわけではないから、ね。でも、遊びではないのです。ここ何年かの中で
久しぶりに出力95%で頑張った。

通っている歯医者さんにベトナムに行くので2週間は治療にこれません。といってら
「いいですね〜旅行ですか?」と言われ
見栄っ張りのえーかっこしーの史は

「いいえ、仕事でいくんです。」

といってしまった。つい。
飲食一本でずるずる働いていた史は出張の経験がない。
仕事で海外。
みたいな、こじゃれた自分に憧れ、つい嘘のような、でも嘘ではないけどすこし恥ずかしいような。。。


事の発端を簡単に。

彩ちゃんは, フエで、恵まれない環境に生まれそだっていく子供達を少しでも豊かに幸せにするためにボランティアで下記のプロジェクトを運営している。
http://huehappyprojectjp.blogspot.com/ 

以前は数人で活動していたのだけれど、帰国してしまったりして今は彩ちゃん一人でベトナム人のボランティアや協力してくれる人々に支えられ日々奮闘しているのです。

そんな彼女が去年の10月頃、一時日本に帰国した時に ここ1年でめっきり仲良くなった史のお友達の聖子ちゃんと出会うことになった。

バックのデザイナーをしていて、でも最近は鬼のようには仕事をしていない聖子ちゃんに彩ちゃんは感激して
「是非、なにか。を作って欲しい!」
とお願いしたのです。

だいぶ漠然としたお願いだったのだけれど、ようはフーヒップにいる子供達に作らせるアイテムを考えて欲しい。 ということで。 
これらはいままではビーズで何かを作ってそれを基本的にはdonationのノベルティーとして寄付してくれる人達に送ってた。、子供達に作らせて、一ついくら。とおこずかいとして彼らにいくらか支払っていた。

                               子供達が作った ビーズのアイテム 
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彩ちゃん曰く、フエはあまりなにも手に入らない小さな都市で、ビーズのアイテムをつくるにも、ハノイやホーチミンまで買い出しに行かないと手に入らないので、フエで入手出来るものでなにか新しい物を作りたい。けど、モノを作り出すのは苦手なのでずっとビーズに不具合を感じつつも現状維持をしてきた。とのことだった。

日本でプロダクトアイデアを出し、それをベトナムのフエで入手できるものにし、ノベルティーだけでなく商品として販売できれば嬉しい。材料費は日本の物価の何分の一だから、現地で似たものが調達できるなら少しでも多くの利益を出せる。
一人の学費、一つの机、一箱のクレヨン、一冊の教科書がかえる。と。



           毎日乗り倒している彩ちゃんの愛車ピンキーは去年よりだいぶガタがきていた。
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それが、はじまり。今回のベトナム行きとこれからの活動のはじまりだった。

どっこにでも絶対にあって、子供達でもできる作業で、道具や機械を極力必要としないなにか。
なんだ?

ありとあらゆるものを考えてゆき、辿り着いたのは
[編み物。それも鍵アミ」

鈎針ヒトツでなんでも編める。そして場所は座るスペースで十分。糸は世界中どこだってある。コストは針と糸だけ。
そこに行き着いたのは良いが、聖子ちゃんも史も編みのはやったことがないズブの初心者である。

しかたがないので二人で本屋さんに行き、「初めての鉤針編み」のような教本を買い最初の一歩目から歩み始める事になった。

週に1,2度我家に集合し、夕飯を作りながらしこしこ網続けているウチに、適当なものは編めるようになってきた。やればできるもんだ。19歳以降、やる事、勉強、努力する事っていったら 料理 しかないバカの一つ覚えでいままでやってきてしまった自分が久しぶりに「新しいこと」に挑戦した。

ヒトリだったら根気のない不器用な史はとっとと投げ出していただろうが、辛抱強い京のおなごと一緒になだめ、すかされなんとかなんとか。。

必要と思われる技法を習得した次は

なにを作るか。

で、またなんがえるかんがえる。
売値の幅を作る為に幾つかの商品を考え、ターゲットはどこらへんか?子供でも練習すれば出来る技術で、シーズンレスで、ベトナムな雰囲気を少し醸し出しながら 日本人がデザインした意味のある良質な、品のアル、、きりが無いほどの条件を満たしたものを作り出すのは思いのほか大変だった。

 自分がスキな感じのヘアーバンド。でも買う人がいない+コストオーバー でボツ。
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自分が良いと思うもの。欲しいと感じるものをつくるのは簡単だ。ただ本能が赴くままに作って行けばいいのだから。 しかし、より多くの人に買ってもらえる商品を作らねば意味が無い。
継続的に子供達への資金としてお金を作り出さねばならないのだから。

サンプル作りに2ヶ月費やした。

                                ブレイク 初めてお風呂に入った足袋ちゃん
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大体の目処がついてきた2月ごろ、彩ちゃんから連絡が。
「主戦力となる予定だった15~17歳くらいの手先の器用な子達がサイゴンの 工場に送られてしまった。。」オーマイゴット。

ある一定の年齢を過ぎると口減らしと収入を得る為に両親は女の子達を働きに出す。例えそこがどんなに劣悪な環境でも。男尊女卑が色濃く残るベトナムで、貧しいオウチに生まれた女の子達は低賃金長時間の労働をしなければいけばい運命にある。
今回は先に連れて行かれてしまったけれど、今後それをなんとか防ぐためにも、ドネイションのノベルティーだけではなく ちゃんと商品として売れるものを考え出し 作業を教え、フーヒップで彼女達が家族と幸せに暮らしていけるなにか作り出せるようにならなければならない。

先を越されてしまい、彩ちゃん筆頭に我々も大層悔しい思いをしたけれど、そんなところなのだ。これから戦いを挑むところは、。

戦力を失ったHHPの学校に残ったのは、、小学生(いっぱい)と中学生何人か。
そんな彼等に今まで考えてきた商品を作れるのか がっくんと不安で絶望的になったけど、辛い現実に生きることを強いられている子供達の為に 遠い豊な国日本で恵まれた環境の自分達が出来る事 は
 「小さい子でも、ベトナム語で伝える事ができなくても 教えられる、出来るよう成らせる準備すること。」しかなかった。というか、それが自分達の使命だった。

頼りになる助っ人をフエで探してもらい サンプルと作り方の手順を書いたレシピのようなものを作り、たまたまフエへ旅行に行く 和製アンジェラ アキ (荷物を手渡した時に初めてお会いしたんだけれども、何ともアンジェラで、その後3人のなかではそう呼んでいた。)に荷物を託し 自分達が行く前に少しでも編み物に慣れてもらえるように作戦を練った。滞在できる時間が限られているので、なるべく時間を有効に使っていかなくてはならなかった。
                              安い荷造り用みたいな麻紐なら どこでもあるだろうと。。
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                麻だけじゃあんまりだから カラーバリエーション。ブスかわいい狙い
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ベトナムに行く日が刻々と迫ってきて、聖子と史は慢性けつかっちん状態になってきた。

網図の作成。 サンプルのレシピと英訳。 材料は現地調達だけれど、一応参考にするために全ての材料の買い出し。 動画とみまがうばかりにコマ刻みに写した作成の手順の写真。
やる事がどこどこでてきた。
でも、そこまでやっても、何ヶ月も費やし、頭フル回転で色々考慮して考えてきた果てに出来たプロダクトでも、だけど2人とも なにかしっくりこない これで大丈夫なのか?漠然とした不安が残っていた。

、なにか。が足りなかった。 そんな薄らしんわりと感じている最中、彩ちゃんからまたまた衝撃の連絡が。

「ベトナム人のボランティアの子達に手芸屋さんなどでサンプルに近い糸、毛糸をさがしてもらったけれど、ほとんど 無かった。」。。。
日本から支給するには毛糸は日本では高過ぎ、運ぶのもかさ張るので多くはもってゆけない。値段設定は現地調達が基本で換算していたので、日本で材料を買うとなると上がりなど殆ど、無い。といっていい というか商品の値段設定が根底から覆される。 そして、そんな高いものがサクサクとうれるわけがない。お。。、。/。、

どっしりがっかりした状態の最中 聖子ちゃんが京都の実家に1週間くらい帰ることになり、残り数週間でやらなければならないことをふたりで分担し、各自でやるべき事をリストアップして 暫くひとりひとりの作業をすることになった。

一人で少し冷静に頭を冷やしながら淡々と宿題をこなしていた何日目かに、ふと 数々のサンプルを見ているとそのなかで、最後の最後にでてきた リングに刺繍糸。のアイテムが
突然

「私、とても新しいです。かわいいです。コストも安いです。作業も難しくありません。かさ張りません。バリエーションいくらでもつくれます。」としゃべりだした。

びっくりした。 アクセサリー的な何かも欲しいと彩ちゃんが言ってきて、 じゃあじゃあこんなのありか?と聖子ちゃんが編み出した奇跡の一品が終盤突如光り輝きだしたのだ。

ひっくり返して考えれば考えるほど、ぴったりくるアイテムであったのです。

聖子ちゃんが帰ってきて、リングアクセサリーはとても偉いことを相談しようと思っていたら 全く同じ事を京都で思っていたと。誰に見せても評判がよかったと。

ということは。

やった事を無にする勇気。自分たちに必要なのはそれだけ。
リング革命が起こった。

今までやってきたことらは 全部 補欠の保険の予備に格下げ 出発まで残り2週間を切った3月リングのバリエーションをガンガン増やしていった。

毎晩勇輝と聖子ちゃんの旦那さんのトシ君が帰りますコールをしてくるまで(彼等は一緒の会社。一昨年トシ君が京都からFICCに入り、その関係で聖子と史は友達になった。)、アミあみ、急遽サンプルを殆ど作り直さねばならなかったのでちっさいプラスチックのリングに、これまたほっそい刺繍糸であみあみ。 
それまでのプロダクトは 比較的太めの糸で編んでようやく編む っていう作業に慣れてきていたのだけど、、。これは別の次元だった。

元来自分は手先は器用なほうだと、信じて疑わなかったが 違った。
ミクロのものにめっぽう弱い。そしてみーっとなってがあーとなる。

だから、当初は リングものに関しては、細かい作業はお手の物でむしろそういったものを好む聖子ちゃんに投げっ放して、自分はでかいミトンやらなんやらをがしがし編んで ガンガン系は史、ちまりちまり丁寧系は聖子と分担制にしてきてたのだけど、ニットリングが主戦力となった今、 私はできません。 じゃ、話にならない。私は何もしませんから~ と言っている様なものだ。

腹をくくり 挑戦、習得することを目標にかかげ 奮闘したが編み目もぐちゃぐちゃで時間もアホみたいにかかる。むしゃくしゃしている史を聖子菩薩は優しく励まし見守ってくれた。ありがたや。

サンプル作りを聖子多めで分担し、史もなんとかこマシに作れるようになったのは出発1週間まえ。
こんなんが人に教えられるだろうか。。。

           ↓まずは携帯ストラップ。全部で16種類作った。
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↓ピアス。同じ形で20色展開。
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↓ブレスレット。他にモノトーンもあり、全5色。
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↓ネックレス。上のブレスと同じ色展開で全5色。
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↓大小のニットリングを使用、配列も不規則な『ランダム』シリーズのネックレス。
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↓同じくランダムシリーズのブレスレット。
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怒濤の2週間がばばばっと過ぎ行き、やっと とうとう ベトナムに出発。
我家にはさびしん坊の銀之助とおてんば娘の足袋がいる。2匹の世話を とっても忙しい毎日を送る勇輝にお願いしてオウチをあけるのはとても心が痛んだ。
ギンノが精神的にやられる。→ギンノ体調不良。→勇輝もてんてこまい。→足袋が真似をする。→皆で撃沈。。
の図だけはさけたかった。だからベトナム滞在をぎりぎりおと思われる10日間にしてもらった。

気の利く妻ぶりたくて 出発の当日 勇輝の生活が少しでもましになるように 食材を用意したり冷凍したり オウチの事リスト&猫達の説明書などを書き、掃除などしていたら あっという間に成田行きのバスの時間になってしまい、結局洗濯物を干しっぱなしで家をでることになってしまった。。
なれないことには時間がかかる。 勇輝に少しでもって思いは悪くはないけれど、結局その思いでした色々が 洗濯物たたみ。を増やしてしまったのです。
これを 本末転倒というのか? 

分刻みで家事と戦い あと何分ででなきゃ。っと思っていたけれど 実際いざ出陣!って時にはもうバスの出発時刻の15分前。普段ならちょっと早めにあるけば間に合うじかんだったけれど 荷物が結構重い事が判明。かんがえれば当たり前なんだけど。。

ヤバイ間に合わないかも。バスのチケットは史が買って聖子ちゃんの分も持っている。だから先に行ってて っともいえない。 おまけに完全予約制で乗れなかったらパー。 そしてそのバスに乗れないとフライトもやばい。。 あ~けつかっちん。
タクシーを呼んだらすぐに来てくれる事になったから一安心。で、荷物とゴミを先に運んでおこうと思って 一度下に降りたらもうタクシーが来ていた。

スグ荷物を取りに戻って のりますからーって運転手さんに伝えたら、 なんと鍵を忘れてきたことに気が付いた。
マンションはオートロックでエントランス入るのも鍵がいる。

なんてこんな時に盆ミスをするか自分!腹が立ったけど、兎にも角にも時間が無い。
井上陽水の傘が無い の鍵無しバージョンが頭に鳴り響き 番号を押して事情を説明したら開けてくれる隣人もいない。 近所付き合いのない現代社会を恨んだ。

怒ピンチだ。 どうしようもないので マンションの裏階段の柵をよじのぼり、階段を登り、またヒトツ隔たっている柵をよじのぼった。
タクシーのお兄さんはみていただろう。 あー あそこからあーやって入ればマンション内に入ることができるんだ。 と。 思ったに違いない。
しかし背に腹は変えられぬ。

突如のアクシデントの対応が出来たのは 以前一度 鍵を持たずにゴミ出しか、コンビにに買い物に行き 柵を登って事なきを経無事にオウチに帰った。という経験があったからだ。。(その時は自分を罵り、二度と鍵無しで外にはでないぞ!っと誓ったが今回同じミスをおかしてしまった。)
 
その経験があったからさっと機転をきかし、柵を乗り越えれた。。

失敗は成功の母だ。(成功ってほどのもんじゃないが。。 ギリセーフに持っていけだだけのこった。)そんなアホくさい経験なんてする必要のない事柄だし、 今回はいくら慌ててケツに火がついていようと しちゃいけないミステイクであった。

めずらしくてんぱったせいで 膝を柵に強打。普段ならなきべそをかいて暫らく動かないくらい痛かったが 無視してオウチに戻りばったばたと猫達に行ってきますを告げ タクシーの待つ玄関さきへ。

ギリまにあった。 はあ~。

聖子ちゃんは5分前になっても見えない史の姿を探して心配して迎えに行ってくれていた。
ブーンといったので ウチに向かうお彼女の姿をみることもなく、自分を棚にあげて バス停にいないことを心配した自分が恥ずかしい。

聖子ちゃんには 訳知り顔で、「主婦がオウチをあけるてのは、なかなか大変じゃね~:」
などとのたまったが、それは主婦とかなんとかじゃなくて めんどっちい自分だから起きたものものであった。。2部咲きの桜並木に未練をのこしつつバスにのりこむ。



やるだけ 出来るだけ やった。 あっちで何がどうなるかは わからない。色々大変だったけど出発がいままでやってきたことの始まりになる。
高い飛行機代を使っていくのだから、子供達を1年分賄えるほどの。 向こうでもやるだけやるぞ。


今回のはじまり は とても自分に取って必要な経験だと思った。 
30歳になって、少し刺もとれて、 結婚をして4年目。  自分の得意分野と住む世界や価値観がだんだん無意識に限定されていく「オトナ」の自分が凝り固まってしまうまえに、 心身共に一度自分の限界や思考、固定観念を打ち砕きぶっ壊す。ズルリと段々大きくなって、自分ボケしてしまうのを防ぐ いいきっかけになった。

       
                                                 お留守番ねがいます。

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                                                 ベトナム第一弾。 




いざ 彩ちゃんとBAKUのいるベトナムのフエへ。子供達が待つフーヒップへ。